(2)「あそび」の重要性について
「あそび」の重要性について理解を深めるために、すでに提出済みの、「保育のきほん 4・5歳児」(「ちいさいなかま」編集部『ちいさいなかま社』)の実践 例の一つ「(略)」を参考に考えていく。
まず、上記の5つの視点を軸に、具体的に検討する。
この実践例は、4歳児クラスの子どもたちが、前日に降った雨のおかげで、園庭は黒くて湿った砂がいっぱい、という中で繰り広げられた、子どもたちの「ドラマ」を切り取った報告である。
まず、①の生命機能の維持発展、という点について見てみる。
Aくんの、おたまを使って水をペットボトルに入れる、という動作は、指先の機能の発達につながるという点で、生命機能の維持・発展に寄与している。
Fくんのパンケーキ作りも、手指の技が必要であり、こうした「あそび」を通じて、子どもたちの手指の機能の発達につながっていく。
砂場などでのこうした「あそび」は、保育の分野においては、「手指活動」として、子どもの発達に不可欠な活動とされている。
また、雨が降った後の水に触れ、冷たい、ということを体で感じ、水が濁ったり、透明になったり、という自然が作り出す科学的な体験にふれ、また、四季を体感していくことことで、五感の感覚も豊かになっていく。
自然に触れる機会が不足すると、生命としての機能も発達せず、五感も乏しくなってしまい、人間としての機能が十分発達しない可能性がある。
「あそび」はまさに、人間としての生命機能の維持発展として不可欠な役割を果たしている。
次に、②心の発達について見てみる。
キラキラ輝いた雨水を、みんなに見つからないように黙って汲んでいる密かなたくらみ、の時の、Aくんの姿からは、3歳児には見えなかった、4歳児ならでは、の集中力や、ハラハラドキドキ感など、心の豊かな発達が感じられる。
キラキラ輝いた雨水をきれいと感じ、密かに企み、ハラハラドキドキする、という、いろいろな豊かな気持ちがAくんの中にあり、同時に、一つのことに集中する力が培われている。
こうした豊かな気持ちや、集中力は、Aくんの人生をきっと豊かなものにしていくだろう。
③の社会性についてである。
B子さんとC子さんの、黒砂の「型抜き」の姿からは、この保育者が述べているように、、二人の「心を通わせあった確かな時間」が確かに見いだされる。「楽しい」ということを共感できる時間を積み重ねていくことは、人と関わり合う力を発達させていく。
きれいな雨水を巡っての、Aくんと、それに気づいたGくんとのトラブル、そして、それに終止符を打ったHくん、の姿からは、子どもたち自身でトラブルを解決していく確かな力が見いだされる。
④の想像力についてである。
D子さんとEくんは、水と砂で創り出す想像力で楽しい遊び、パーティーを生み出している。そこには、「見立て ○○のつもり」(泥水=チョコレートドリンク、雨水のしみた黒砂=チョコレートシロップ、黒砂=チョコレートご飯)という豊かな想像力が見いだされる。
子どもたちのアイデアの素晴らしさと、楽しんでいく力には感嘆せずにはいられない。
もちろん、想像力は子どもの発達によるし、個人差もある。
一つの同じ「あそび」でも、イメージしている世界も違えば、感じ方も遊び方も変わってくることがある。
その場合、場合によっては保育者が「手立て」をし、手を差し伸べることで、子どもの想像力が膨らみ、楽しく遊んでいける、ということもしばしばある。
それがまた、子どもの「発達」へとつながっていくのである。
園庭は、このように、子どもたちが自ら自由に「あそぶ」空間であると同時に、保育者が、時に子どもたちに必要な「手立て」をすることで、子どもたちのあそびの世界を広げ、発達を保障する場でもある。
保育者は単に子どもたちを傍観しているというわけではなく、子どもたちの「気持ち」(意見表明権で言うところの「意見」)をつかみ、子どもの主体性を大切にしながら、時に必要な「手立て」をしている。
そういった営みが、日々園庭で繰り広げられている、ということを私たちは理解しておく必要がある。
⑤の「アニマシオン」についてである。
この報告全体からは、子どもたちそれぞれの姿から「面白い、楽しい」というワクワク感、意欲の高まりが伝わってくる。そこに一人一人の「魂の活性化」という豊かなドラマが生まれていることがわかる。
この「ワクワク感」こそが、「あそび」の最も大事な面である。
子どもたちは、一つ一つのちいさな「あそび」を通じて、子どもたちは「面白い」「楽しい」「心地よい」と心が動き、その瞬間、瞬間に、子どもたちの魂は「活性化」している。
その魂の活性化(アニマシオン)の力こそが、子どもたちの心、体、人間関係を活気づけ、子どもたちの成長発達へと導いていくのである。
保育士や教師に教わったり、あるいは言われたとおりの「遊び」をすることで必ずしも子どもが育つわけではなく、子ども自身が自ら作り出す「あそび」こそ、最もよく魂の活性化(アニマシオン)の機能を持っているのである。
こういった主体的な「あそび」こそ、子どもの「あそぶ権利」の核心であり、子どもたちが発達をしていく上でまさに中心的で、不可欠な営みである。
この実践例で報告された子どもたちの砂場での姿から、砂場にはそれぞれの子どもの成長のドラマがあることが分かる。
子どもたちが、「与えられた遊び」だけでなく、「名もないあそび」を発見、創造しており、自分で発見し、作り出した自主的、主体的な「あそび」こそ、子どもの発達にとって、極めて重要なのである。
園庭は、子どもが「あそぶ」「舞台」として、子どもが「発達」していく「舞台」として、不可欠な「舞台」なのである。