内閣法制局の憲法解釈権限(2)

第3 内閣法制局の憲法解釈権に対する批判
 1 内閣法制局に対する様々な批判
 内閣法制局の憲法解釈に対しては、様々な批判がされてきた。
 とくに、内閣法制局の憲法解釈を否定しようとする立場から、内閣法制局の憲法解釈権自体を問題視する発言が強く出されている。
 そこで、内閣法制局の憲法解釈権に対する批判的発言について、個別に検証を試みたい。

 2 「三権分立に反する」という批判
 (1)1つは、「憲法に対する最終的な判断権者は最高裁判所であり、行政機関の1つに過ぎない内閣法制局の憲法判断があたかも国の唯一の憲法判断のようにされているのは三権分立の観点からおかしい」という批判である。
 (2)確かに、憲法に対する最終的な判断権者は最高裁判所である。
 しかし、まず、内閣法制局の憲法解釈は、あくまで政治的意見であって法的拘束力を有しているわけではなく、その意味で、最高裁判所の最終的な憲法解釈権を何ら侵害しているものではない。現実に内閣法制局が審査した法令について、最高裁判所が法令違憲と判断したことはほとんどないが、それはあくまで結果論であり、内閣法制局が最高裁判所の憲法解釈権を侵害しているわけではない。
 (3)平成10年4月22日の衆議院行革特別委員会において、大森内閣法制局長官(当時)は、次のように答えている。

 「言うまでもなく、憲法解釈、これは最終的な憲法解釈権と申しますのは、憲法81条によりまして最高裁判所に帰属している。そのような意味において私どもは憲法解釈権を有しているというものではないことは、私どもも重々承知しているわけでございます。
 他方、政府内部におきましては、この憲法解釈、これはいろいろな立場で法律の運用にあたる者は、その前提として憲法問題が介在している場合には、憲法解釈をする必要があるわけです。
 したがいまして、第一時的には、この法律の運用にあたる各省庁におきましても憲法解釈を行っているわけでございますが、その憲法解釈について、各省においてはいろいろ疑義があるとか、あるいは各省庁間で解釈に差があるという場合には、現行の制度におきましては、法制局に持ち込まれまして、法制局における議論、検討を通じて、少なくとも政府内部においてはその方向で解釈が統一されていくということになっているわけでございます。」


 (4)大森氏が述べるように、内閣法制局は、法律を運用するにあたって直面する憲法解釈について、法の運用の一体性の観点から、政府内部で解釈の統一を図っていく、という役割を果たしているにすぎず、内閣法制局が、何ら最高裁の最終的な憲法解釈権を侵害しているわけではない。
 したがって、三権分立に反する、という批判は当たらないと考える。

 3 「官僚の権限の強大化を生んでいる」という批判
 (1)これと同じような批判として、次のようなものがある。
 「内閣法制局こそ、第一次違憲審査所なのである。こうして日本の官僚は司法の役割も含めて3権をほぼ手中に収めたのである。これが三権のなかで官僚が突出した最大の理由である」(五十嵐敬喜・小川明雄(1995年)「議会」岩波書店)などという批判がある。
 これは、「官僚機構が3権を実質独占している」という点が重視されており、官僚批判にウェートが置かれており、官僚批判の1つとも捉えることが出来る。

 (2)しかし、かかる批判は、「官僚の権限が強大だ」という批判ありきの傾向が強い。
 また、そもそも行政機構を「官僚」という形で大きく捉えすぎており、内閣法制局の機能について十分目を向けていない。
 内閣法制局は、上述したとおり、行政内部から「権力を憲法が縛る」という立憲主義を支える重要な役割を果たしており、憲法を超える法律が作られ、また、憲法違反の国家行為が行われないように、他の省庁を牽制する役割を果たしている。
 その意味では、「憲法の枠の中に押し込める」という意味で、むしろ官僚の力を限定させる機能を果たしているのであり、内閣法制局の存在が「官僚の権力拡大」をもたらしている、という批判はあたらない。

 4 「僭越」「違憲」「硬直的」等の批判
(1)また、「内閣法制局が内閣の憲法解釈を縛るなど僭越だ」(小沢一郎)、ひいては「法制局の役人の持つ権限こそが、まさに違憲」(櫻井よしこ)との批判まである。
 さらに、「硬直的」であるなどという批判もある。
(2)内閣法制局は、このような批判に常にさらされてきた。こういった批判に対しては、たとえば、平成13年6月6日の参議院憲法調査会において、坂田内閣法制局第一部長は次のように述べている。

  「内閣法制局が憲法解釈について内閣その他に意見を述べ、また国会において内閣の憲法解釈について求めに応じてご説明申し上げているというのは、このように内閣としての憲法解釈の統一を図り、行政府が憲法尊重擁護義務というのを間違いなく果たしていくことが出来るようにという観点からのものであるということをご理解いただきたいと思います」 

 また、元内閣法制局長官の高辻正巳氏は、「時の法令」(大蔵省印刷局・1972年、34頁~)において、次のように述べている。

 「内閣法制局の使命は、内閣が法律的な過誤をおかすことなく、その施策を円満に遂行することができるようにする、というその一点にある。そうである以上、同局の法律上の意見の開陳は、法律的良心により是なりと信ずるところにしたがってすべきであって、時の内閣の政策的意図に盲従し、何が政府にとって好都合であるかという利害の見地に立ってその場をしのぐというような無節操な態度をすべきではない。そうであってこそ、内閣法制局に対する内閣の信任の基礎があり、その意見の権威が保たれるというものであろう。」
  
  

 さらに、
 「法解釈は客観的に一義的に正しく確定されるべきもので、行政府がこれをみだりに変更することなどありえない」(1975年2月7日の衆議院予算委員会における吉国一郎内閣法制局長官)。

(3)上記のいずれの発言からも、内閣法制局は、「立憲主義の枠の中で、きっちりと行政権行使を行っていく」という緊張感を持っていることがわかる。「憲法解釈は一義的に正しく確定されるもの」とあえて述べるのも、憲法解釈の幅があることを原則としては、立憲主義の縛りが利かなくなるからであると思われる。
 また、政府が変わるたびに憲法解釈が変わるようでは、憲法が権力を縛るという立憲主義が著しく後退することは明らかである。さらに、憲法を頂点とする法体系全体の整合性も図れなくなり、法治国家としての基礎が崩されかねない。
 したがって、立憲主義の観点や法治国家としての法体系の整合性の確保の必要性からすれば、内閣法制局の上記各発言は至極当然のことであるといえる。
 仮に、「内閣法制局は僭越だ」とか、「硬直的だ」などと権力を握っている政治家が感ずるとすれば、それは、憲法による権力の縛りが、内閣法制局を通してしっかりと機能している証拠であり、むしろ望ましいことであると言える。
   
第4 従来の内閣法制局の「解釈」を否定することの問題点
 1 集団的自衛権についての内閣法制局の憲法解釈
 内閣法制局は、憲法九条は集団的自衛権の行使を認めていないとの解釈を一貫して取っている。
 すなわち、内閣法制局は、「憲法が容認するものは、その国土を守るための最小限度の行為だ。したがって、国土を守るというためには、集団的自衛の行動というふうなものは当然許しておるところではない」(1972年9月14日参議院決算委員会における吉国一郎内閣法制局長官答弁)などとし、憲法九条は集団的自衛権の行使を認めていない、という憲法解釈を一貫して取ってきた。

 2 国家安全保障基本法について
 これに対して、自民党が2012年7月に党内の機関決定を経た「国家安全保障基本法」は、10条において、「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態である」ときに「自衛権行使」可能としており、集団的自衛権行使を正面から認める内容となっている。
 その他、8条2項で、「自衛隊は、国際の法規及び確立された国際慣例に則り、厳格な文民統制の下に行動する」とされており、憲法が禁止する交戦権を容認するとも読める。
 石破茂氏は、国家安全保障基本法の制定について、評論家の宇野常寛氏との対談本「こんな日本をつくりたい」(太田出版/2012年9月発行)で、次のように述べている。

 「憲法は改正しなければならないと私は言っているわけですが、しかし、憲法が改正されるまで、集団的自衛権は行使できない、というままで放置しておいて良いとも思えません。これまでも自衛隊の運用や集団的自衛権については、すべて政治のニーズで解釈をしてきました。状況が変われば政治判断も変わる。判断が変われば解釈も変わる。これは当たり前のことです。」 
 「ですから、今年(2012年)自民党は、『集団的自衛権の行使を可能とする』ことを盛り込んだ、『国家安全保障基本法案』の概要を党として機関決定したわけです。」
 「『内閣法制局の打ち立てた憲法解釈は、内閣が替わったからと言って変更できるものではない』というのが法制局の立場ですが、だからこそ内閣提出法案ではなく、議員立法でこれを乗り越えるべきだと思います。」
 
  
 以上のように、自民党は、国家安全保障基本法について、内閣法制局の事前審査を回避し、議員立法で制定した上で、内閣法制局の憲法解釈を否定するやりかたをこの1年の間、模索してきた。
 
 さらに、最近、安倍政権は、議員立法という「迂遠」な道を経ることなく、内閣法制局長官を交代させ、内閣法制局の見解自体を直接変えさせようとしている。
 内閣法制局長官を変え、従来の9条に関する内閣法制局の見解を根本的に変えさせ、その上で、集団的自衛権行使を認める国家安全保障基本法を内閣法制局を通じて国会に提出し、与党の数の力で法案を可決しようとしている。
 
 このようなことが果たして許されるのかについて、これまで見てきた内閣法制局の機能から、以下検討する。

3 内閣法制局の従来の解釈を否定する内閣による「解釈変更」
(1)法体系の整合性が崩れる危険性
 内閣法制局の憲法解釈は、緻密な論理の積み重ねであり、その上に事実が積み重なって、憲法を頂点とする我が国の法体系全体の整合性がとれてきた。
 しかし、内閣法制局のこれまでの憲法解釈を正面から否定する「解釈」をということは、内閣法制局による憲法解釈の論理の積み重ねを否定するものであり、憲法を頂点とする法体系全体の整合性を崩す可能性がある。

(2)「法治国家の要」の否定
 大森内閣法制局長官は、既述のように、「法律問題に関し意見を述べることを所掌事務として設置法に明記されていることに照らし考えますと、法制局の意見は、行政部あるいは政府部内においては専門的意見として最大限尊重されるものであることが制度上予定」(記述、大森氏答弁)されていると述べている。
 しかし、あえて内閣法制局の憲法解釈を否定する「解釈」を、首相の意を汲んだ新たな内閣法制局長官が主導で行うということは、「内閣法制局の意見を最大限尊重する」という現行制度を否定することになる。
 そもそも、前述したとおり、内閣法制局は、明治維新後、内閣制度が出来る以前から存在し、政府の国務の統一を確保するための重要な補助機関として、「法治国家の要」を担う役割を果たしてきた。
   
 現在も、「憲法を頂点とする法秩序の維持」を図る、ということが内閣法制局の使命であるところ、内閣法制局長官を変えることだけで、これまでの内閣法制局の解釈を変えることを許容すれば、内閣法制局による「憲法を頂点とする法秩序の維持」を図るという機能を否定しかねない。
 それは、明治維新後、日本が近代国家となって以降脈々と続いてきた、「法治国家の要」としての内閣法制局を否定することに等しい。

(3)政府の権威の失墜
  さらに、大森内閣法制局長官が述べるように、内閣法制局が、憲法解釈の変更に消極的な理由は、「政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある」という点にある。
 つまり、内閣法制局の憲法解釈の否定は、それまで積み重ねてきた行政府の憲法解釈を否定することであり、内閣による憲法解釈の権威を著しく失墜させ、それがひいては、内閣自身の権威と国民からの信頼を失うことにつながる、としている。
 内閣が、過去の内閣の憲法解釈から明らかに逸脱する憲法解釈を新たに取り、憲法解釈の「変更」を行う、ということは、従来の内閣法制局の見解から照らして違憲の見解を取る、ということを意味する。
 それは、内閣法制局による憲法解釈の積み重ねを否定することを意味するから、「政府の憲法解釈の権威自体を著しく失墜させる」という大森氏の懸念は的を射ている。
 また、政府自身が従来の「憲法」の枠を超える、ということは、「権力は憲法に拘束される」という立憲主義を否定するものとも言える。立憲主義を否定する内閣や与党は、ひいては国民からの信頼を失うことになろうという懸念もまさに的を射たものと言える。
 これまで積み重ねてきた内閣法制局の憲法解釈を明らかに逸脱する憲法解釈を政府が取る目的で、内閣法制局長官を交代させ、これまで許されなかった「憲法解釈」を行うということがあれば、大森氏が指摘するように、その結果、「政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させ、内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なう」ことになりかねない。

(4)立憲主義の否定
内閣法制局は、近代日本が歩み始めた明治維新直後から存在し、「法治国家の要」としての役割を担い、戦後、憲法を頂点とする法体系の整合性を確保し続けてきた。
同時に、戦後、立憲主義を行政府の内部から支えてきた。
とりわけ、裁判所が付随的違憲審査制を取り、統治行為論などをもって憲法判断を極力回避する司法消極主義を取ってきた中で、実質的に立憲主義を支えてきた内閣法制局の役割は極めて大きいものがある。
 
 既述のとおり、昭和54年12月11日の衆議院法務委員会において、味村内閣法制局第一部長が「憲法に反する政治を行うことは許されない」「私ども内閣法制局といたしましては、法律上の意見を内閣に申し上げるという立場から、違憲なことが行われることが絶対にないように、細心の注意を払ってご意見を申し上げておる」としており、こうした内閣法制局の姿勢が、我が国の近代立憲民主主義国家としての信頼を内外において高めてきた、といえる。
  この内閣法制局の憲法解釈を否定するために、首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことがあれば、憲法の権威と、憲法に基づく権力行使の正当性自体が失墜しかねず、我が国の立憲主義を否定することにつながりかねない。

 (5)小結
  以上のように首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことがあれば、法治国家の要として機能し、また、立憲主義を行政府の内部から支えてきた内閣法制局自体を否定するもので有り、その結果、憲法を頂点とする法体系の整合性が図れなくなり、また、立憲主義を否定しかねず、ひいては政府の権威や信頼を失う危険性があるなどの問題があると考える。

 
第5 結論
 内閣法制局の憲法解釈を否定するために、あえて首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことは、「憲法の枠の中で国家権力が行使される」という近代立憲主義を否定しかねない重大な問題であるということが認識される必要がある。

 内閣法制局も、憲法9条の価値を守ろうとして憲法解釈を守ろうとしているわけではない。
まさに、憲法を頂点とする法体系の整合性の確保と、立憲主義の実体的保障のために、内閣法制局の職責を全うしようとしているだけである。

首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことがあれば、「法治国家の要」としての内閣法制局を否定し、さらには我が国の近代立憲主義を否定することになりかねない。
 これは、考えようによっては、大げさかもしれないが、内閣法制局が出来た明治維新直後よりも日本は後退する、ということを意味するとも言える。
 立憲民主主義を本当に自分のものにするのか、あるいは近代立憲民主主義を放棄してしまうのか、我が国は大事な岐路に立たされているのではないだろうか。

    
【参考文献】

   ・「立法学講義(補遺)」大森政輔・鎌田薫編著
   ・「戦後政治にゆれた憲法九条 第3版」中村明著
   ・「内閣法制局による憲法解釈小論」間柴泰治・国立国会図書館レファレンス2008.2  
   ・「違憲審査制と内閣法制局」佐藤岩夫・東京大学社会科学研究所「社會科學研究」第56巻第5/6号, 2005.03
   ・「内閣法制局による法案審査過程」西川伸一・明治大学政経論叢第72巻第6号
   
 
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by kahajime | 2013-08-24 16:35 | 憲法