安保法制懇の北岡氏の議論について

2月に日本記者クラブで、集団的自衛権行使を認める、という明確な立場をかねてより取っている、安保法制懇の北岡伸一氏の講演がありました。

■擬人化が多い

北岡さんの話を伺っていると、議論の仕方が、都合が悪いところは一般論化したり、擬人化してごまかしている点が多いように思います。これは北岡さん達の主張の仕方で共通している点です。

何となく、ごまかされてしまう人もいるようですが、具体的にどのようなことを現実に想定しているのか、そこを今想定して議論する必要性がどれだけあるのか、ということを常に念頭におきながら、確認作業をするイメージで話を聞いていく必要があると思っています。

「友人が困っているのに黙ってみているのか」という擬人化や情緒的な議論は、わかりやすいですが、国家間の問題に安易に置き換えるべきものではありません。

■一点のみの議論の仕方
また、議論の仕方が、一点の軍事活動のみをピックアップする議論の仕方に終始していますが、軍事行動はそれまでの流れの上で行われるものですし、また、一瞬で終わるものでもありません。

例えば、朝鮮有事の際に、アメリカから要請があったとき支援する、ということをさらっと言ってしまいますが、そこで自衛隊が米船艦支援のために出ていくことは、参戦するということになりますから、日本本土も国際法上は「敵国」からの攻撃対象となり、「敵国」からの攻撃を強く誘発することにます。そういった点についてまで真剣に議論している形跡はありません。

講演の途中で、北岡さんは、阪田さんについて「安全保障政策をもっと勉強してくれ」と言っていますが、むしろ抽象的な勉強だけで現実の戦争についてのリアリティーを欠いているのは北岡さんの方ではないか、と思います。阪田さんと直接何度も、対談しましたが、北岡氏よりも阪田さんの方が現実の危険性を念頭に議論されていると思いました。

■「日本に重大な影響」の縛りに意味があるか
北岡氏は、「日本と親しい国が攻撃されて、その国は、ほおっておいたら日本に重大な影響が及ぶ場合」ということを、集団的自衛権の「縛り」のように主張されています。

石破さんも同じ主張をされていますが、結局「重大な影響が及ぶかどうかはその時の政治家の政治判断」と仰っていますから、現実的には、「重大な影響が及ぶ」という基準は、まったく縛りも基準もないことになる、という点が一つ大きな問題です。

北岡さんも仰っていますが、「同盟のジレンマ」があり、同盟国には、強い同盟国から見捨てられるのではないか、という「見捨てられの恐怖」と、その強い同盟国が戦争をしていくことに巻き込まれていく、という「巻き込まれの恐怖」の二つがあります。

イラク戦争の時にも、自衛隊派遣の際に国会で説明されたのが、「日米同盟のため」(もっと丁寧に言えば、ここでアメリカに協力をしておかなければ、北朝鮮有事や対中国との関係で問題が生じたときに、アメリカに助けてもらえない)ということでした。
まさに、「見捨てられの恐怖」によって、自衛隊のイラク派兵がなされ、アメリカの戦争に「巻き込まれた」のです。

集団的自衛権行使をすべきかどうか、という問題に直面したとき、「日本に重大な影響が及ぶかどうか」という制限があるといっても、その判断において、常に「アメリカを助けなければ、いざというとき助けてくれない」というお決まりの思考回路で、結局無制限に自衛隊を派遣していくことは目に見えています。

したがって、集団的自衛権行使について「日本に重大な影響が及ぶ」場合に限ると言っても、この基準は全く縛りにはなりません。

■集団的自衛権行使を認めてしまえば

ベトナム戦争などで、憲法9条があったおかげで、日本がアメリカの戦争に巻き込まれる危険が回避できた、という憲法が果たしてきた役割自体は、北岡さんも一定認めているところです。

しかし、北岡さんは、この「巻き込まれの危険」は現在はないとしています。

しかし、イラク戦争でも、「見捨てられ」の恐怖に支配されながら、イラクへの自衛隊派遣なども行iい、現実に「巻き込まれた」事実は否定できません。
ただ、イラク戦争でも、憲法9条があったことで、かろうじて自衛隊が直接の軍事行動に巻き込まれていく「巻き込まれ」の危険をギリギリ回避することができました。

最近のシリア情勢なども鑑みると、いまなおアメリカの戦争に対する「巻き込まれの危険」は否定できません。

もし、安倍政権が、「解釈改憲」により、9条の中身を放棄し、集団的自衛権行使を認めてしまえば、アメリカの戦争に対する「巻き込まれの危険」を回避する術はなくなり、「見捨てられの恐怖」に支配される中で、際限なくアメリカの軍事戦略に日本の自衛隊が組み込まれていくことにもなりかねません。

■イラク戦争時に、集団的自衛権行使が可能だったら
10年前のイラク戦争では、アメリカはイラクへの「先制自衛権行使」を根拠としたとされ、イギリスはアメリカとの「集団的自衛権行使」を根拠としたと解されています。
 そうであれば、10年前に、仮に9条の「解釈改憲」を行って「集団的自衛権行使」が可能だとしてしまっていたら、日本の自衛隊はイギリス並みの派遣となった可能性は十分にあります。
イギリス兵はイラクで179名が命を落としています。日本の自衛隊も、戦争の前線に送り込まれ、多くのイラクの市民の命を奪い、また、自衛隊員の多くも命を奪われた可能性は否定できません。

北岡さんは、「地球の裏側に自衛隊を送ることがない」かのように言ってもいますが、イラク戦争の時にはイラクにまで自衛隊を送り出しているのですから、説得力はありません。

■安保法制懇の議論の非現実さ
また、安保法制墾の4類型なども、すべて非現実的な問題です。すでに4類型は議論として破綻してます。
結局、集団的自衛権行使の本質の問題ではない部分をあえてピックアップして議論をして、一部でも「必要だ」としながら、結局は集団的自衛権そのものを無制限に認める道を作ろうとしています。

例えば、北岡さん自身が「領空は1万メートル、それより上は宇宙です」と言い、領空より上を通ってアメリカ本土に向かう弾道ミサイルを迎撃する、ということなどを主張されていますが、そもそも、北朝鮮からアメリカ本土に弾道ミサイルを発射した場合、日本の上空は通りませんし、また、領空1万メートル以上の高さを高速で飛んでいく断層ミサイルを迎撃できる技術が開発される見通しはありません。

今、現実に議論する実益のない議論なのです。

■政府見解についての理解は
さらに、憲法解釈を変えられる、という点についての北岡さんの御主張は、少なくとも内閣法制局の見解について正しく理解されていないのではないかと思わざるを得ません。

自衛権が「必要最小限」の範囲で認められ、その「幅」が時代によって変わりうる、というのは明らかに誤りです。安倍首相も石破氏も同じ主張をしていますが、従来の政府見解を正しく理解していません。

この点は、阪田さんとの本「法の番人 内閣法制局の矜恃」の139頁以降にかなり詳しく書かせていただいています。

内閣法制局の答弁の変遷などについても、おそらく、北岡さんは分析されたことはないのではないでしょうか。理解した上でのご発言であれば、あのような発言にはならないと思います。

全体的に、北岡さんも、他の安保法制懇のメンバーも、同じような考えの人達が、それぞれ自分の中で完結した抽象的なストーリーを仲間内で話し合って盛り上がっているだけのように見えてなりません。

日米安保の下、巻き込まき込まれの危険と、見捨てられの恐怖に常にさらされている日本の特殊性があるからこそ、日本の主権を守るために、「集団的自衛権行使を認めない」という憲法9条のカードを自ら放棄するようなことをせず、しっかりカードとして持ち続けておくべきではないでしょうか。
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by kahajime | 2014-04-03 01:17 | 憲法