カテゴリ:公共政策(京大)( 8 )

ここでは行政における情報化と民主主義との関係について、個人的な意見を述べてみたい。

 電子政府・電子自治体の発展の到達レベルを図る指標はいくつかあるが、ガートナー(Gartner)社の4段階分類によれば、第1段階はPresence(存在)、第2段階は Interaction(双方向)、 第3段階はransaction(取引処理)、 第4段階はTransformation(変身)である。

 これまで、自治体や政府各機関の情報はHP等によって容易に入手可能となり、また、様々な申請書などをネット上からダウンロードが容易となっている。その点で、第2段階まではほとんどの自治体などでも到達している。
 
 しかし、処理手続きそのものをオンラインで出来るようになるシステムの構築までは必ずしも進んでいるとは言えない。まして、政府組織が住民には「透明」になるというような第4段階にはほど遠い。

 しかし、情報化が導入される以前は、役所などに足を運び、情報公開請求などによって入手する必要があった。ところが、情報化の第1段階がクリアされただけで、わざわざ役所などに足を運ぶことなく、情報の入手が可能となった、という点では、民主政の過程に不可欠な情報開示が実質的に進んだといえ、その点だけでも、情報化が行政分野において大きな役割を果たしてきたといえる。

 住民は当該自治体などの構成員であり、納税の義務を果たすなどしている以上、住民サービスを等しく受ける権利があるはずであるが、現実には、日中の5時までの時間に役所に足を運んで様々な手続きをする、ということが出来る人ばかりではない。

 わざわざ役所などに足を運ぶことなく、行政サービスを受けたりするにあたって、申請書などを容易に入手でき、申し込みなどが出来る、ということは、全ての住民に等しく住民サービスを受ける機会を保障する、という行政の本来的な役割を実効化してきたと言える。その点でも、情報化は行政分野において役割を果たしてきた。
 
 したがって、行政分野での情報化は、情報公開を進め、民主政の手続きを実効化し、さらに、住民サービスを受ける機会を等しく提供していくために、重要な役割を果たしてきたといえる。

 小さい政府志向が言われながらも、現実には今でも行政の役割が拡大している中で、行政分野での情報化は民主政の過程を実効化していく上で、その必要性は今後も高まっていくと考える。 

 ところで、情報化の観点としては、現時点では、基本的に「住民が受益者である」という点に重点が置かれており、受益者である住民へのサービス提供、という視点が強い。

 しかし、情報化の役割と可能性は、本来その限りではないはずである。

 そもそも、住民は民主政の過程において単に受益者ではなく、主権者であり、当事者である。

 主権者である住民の意向をより行政に反映させていく、という観点において、情報化は大きな可能性を持っているはずである。
 
 例えば、クラウドソーシングの活用により、地域の課題を顕在化し、それをプラットフォームに示し、市民の中でシェアしていくことが可能である(先駆的な実践として、アメリカのフィラデルフィアの都市計画委員会による「Textizen」など)。

 行政が作る情報だけでなく、市民生活の中に埋もれている様々な問題を行政が集約し、提供していく、ということにつなげていく。こういったプロセスを通じて、住民自治の機能は高まっていく。
 
 情報化を進めていく先には、「民意」の集約においても、多大な役割を果たしていく可能性は十分ある。
 
 これまでは、「市民参加」は、行政へのアクセスがなかなか困難だった中で,意欲的な市民に限られていたが、スマートフォンなどを活用して簡易に意見集約をすることも可能となり、その結果、「民意」をより簡易に、しかも多数の「民意」を集約していくことが可能となってくる。

 しかし、市民参加の課題とも言えるが、広く集められた「民意」を市政に反映していく、という点では、いくら情報システムが進んだとしても、様々な限界がある。

 まず、最も大きな「障害」となりうるのは「議会」である。

 「多数の民意」の意向と議会の意向が矛盾するような場合には、「民意」は無視され、あるいはそもそもテーマとして取り上げられることすらない。
 
 逆に議会の意向に一致する方向性の課題についてのみ、データが活用され、「民意」が反映される形を取られる、ということになりがちである。
 
 例えば、住民投票に変わる簡易な情報集約ツールが開発されたとしても、そもそも住民投票自体を議会が認めない中では情報を活かしていくことが出来ない。

 もちろん、議会には議論をする、という役割があり、情報集約だけで、直接民主主義的に政策を決定すべきではない、という点からは、議会の機能自体は決して軽視されるべきものではない。

 しかし、議会自体が機能していないと批判されがちな今日では、議会が情報化の障害となってしまう部分も否定できない。
 今後の情報化の課題としては、議会をいかに「民主化」するか、ということも同時に進めていかなければ、情報化の先にあるGartner社が提示するところの第4段階の「行政の透明化」など、実現できないのではないか。

 情報化を進め、「多数の民意」を吸い上げることと、議会の活性化を図る、ということとの双方向が健全でなければ、結局、行政府にとって都合の良い「民意の吸い上げ」になってしまいかねない、という問題意識を、念頭に置いておく必要があるのではないだろうか。

追伸

2106年12月24日の中日新聞で「PKO陸自 日報廃棄」の記事。
情報は主権者である市民のものである、ということが前提であるが、この国の政治家や官僚にはおよそその認識がない。
主権者の情報を安易に廃棄する行政は、ガートナー社の4段階分類の1段階のPresence(存在)すら満たさず、論外であり、民主主義国家の基礎を欠いていると言わざるを得ない。

このようなことは許されない。
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 10年以上前の話であるが、NTTリストラ訴訟弁護団の一員としてNTTの経営分析を担当し、NTTの担当者の尋問も担った。経営分析では経営学の学者に指導いただき、会計学の重要性を実感した。
 裁判では、「人件費の物件費化が進められている」との軸でNTTのリストラ政策批判を展開した(名古屋訴訟は、勝利的和解)。

 会計学を理解する過程で知ったのは、会計基準が我が国に及ぼしている影響の大きさである。

 そして今、改めて、会計基準の影響の大きさを痛感している。

 以下は、自分の認識の整理のためのものである。専門外であるので、不正確な部分はお許し戴きたい。

 我が国の会計では従来、収益費用アプローチを重視し、純利益を重視し、発生主義会計、原価主義会計を基本構造としてきた。

 これに対し、ロンドンを中心に発展してきた国際財務報告基準(IFRS)の特徴の1つとして、時価主義・公正価値会計がある。この「公正価値会計」に関しては、国際会計基準委員会(IASB)が2009年5月に公開草案「公正価値測定」を、2011年5月には、IFRS第13号「公正価値測定」を公表している。

 「公正価値会計」は、1980年代後半から、デリバティブ等の新しい金融派生商品の急速な開発・普及等を背景として、金融商品会計を中心に世界的な普及を見せており、我が国にも多大な影響を及ぼしている。

 我が国も、橋本政権下のいわゆる金融ビッグバン以降、金融資産に時価主義が導入され、その後徐々に適用範囲が拡大されてきた。

 九州大学大学院の岩崎勇氏が「国際会計研究学会臨時増刊号2010年度」の「IFRS導入と公正価値会計の浸透」99頁において、従来の日本の会計思考と時価主義との対比を示している。

 岩崎氏によれば、従来の日本の会計思考が、①産業資本主義的な思考に基づき、②収益費用中心観に立ち、③発生主義会計・原価主義会計を基本構造とし、④時価の適用範囲は、金融ビッグバン以降も基本的には金融商品に限定されているのに対し、IFRSの基本思考は、①金融資本主義的な思考に基づき、②資産負債中心観に立ち、③全面時価会計を基本構造としている、と整理されている。
 
 さらに岩崎氏によれば、「我が国が長期志向でゴーイング・コンサーンを前提とした製造業的な思考の下での会計観を従来から採用してきており、他方、IFRSは、ファイナンス理論的な観点から、企業それ自体をも1つの商品として捉え、M&A等により企業を売買することを視野に入れた考え方に影響を受けている。言い換えれば、IFRSは、短期志向で投資の清算価値を常に念頭に置く金融業的な思考の下での会計観を採用していると考えられる。」としている。

 IFRSの会計観によれば、投資家は企業自体の「商品」としての価値を重視していることから、「商品」としての企業の事業用資産等も、売却を前提とした出口価格評価を想定しており、時価としての「公正価値」を重視することとなる。
   
 このIFRSの会計観は、

1)投資家は企業それ自体の「商品」としての価値を重視することから、「企業価値とは現在持っている資産のストックが大事であり、資産の時価が重要である」と考える。
 
2)そこで、資産と負債を全面的に時価で評価し、その差額である純資産の大きさこそが、投資家が企業の価値を把握するときに大事だ、という考え方につながる。
 
3)時価会計については、我が国も現実に有価証券について時価会計の導入をしたことにより、有価証券の含み損益が開示されることになり、会社の株主、投資家にとっては、投資の意思決定に役立つ情報がより充実したと考える。したがって時価会計の導入は、現在の企業の「価値」を図る上で大きなメリットがあるとみる。

4)また、時価会計の導入が進むことで、企業はこれまで以上に収益性重視の方向に向かうことになり、投資家にとってはメリットとなる、と考える。

5)したがって、時価主義の全面的導入は、企業の価値を把握し、また企業により収益性を重視させる、という点で投資家にとってメリットとなる。

以上が、時価主義を重視する会計観の基本と言える。

しかし、私は、以下の数点から、時価主義が拡大していくことについて、強く危惧をしている。 

(1)「公正価値」の評価が可能かという問題

 まず、有価証券であれば、時価の評価は可能であるが、それ以外の事業資産など、時価で評価することが困難な場合が少なくない。
 特に、中古市場などもない場合、極めて主観的な「時価」を「公正価値」と言って「評価」する他ない。このような「時価」が果たして本当に「公正」な資産評価が可能であるのか、極めて疑問である。
 むしろ、主観的な評価ばかりに支配された財務諸表を公開することで、投資家の利益を逆に阻害するおそれも否定できない。

(2)中長期的視点の欠如と企業価値の捉え方の問題

 短期的な利益を上げる投資家の利益を重視しすぎることにより、企業が中長期的に利益を拡大していく、という安定的な経営が困難となる、という弊害がある。 
 そもそも、企業の価値も、その企業の資産のストックや負債の価値のみをもって、企業の価値が決まるわけではないはずである。上記岩崎氏も、企業価値とは、「将来どのくらいの成果を稼ぐか、という見込みによって決まる」(101頁)としており、我が国の産業資本主義的な会計観に、IFRSの企業価値の捉え方は馴染まない。

(3)企業の安定性を著しく欠く
 さらに、大畑伊知郎の「日本経済を壊す会計の呪縛」(新潮新書)によれば現実に金融商品に対する時価会計の導入により、会社が保有する有価証券の含み損益が開示されることになったため、有価証券の含み損により、自己資本が目減りするということが起こり、企業の安定性が脅かされるようになった(45頁)。その結果、株式の持ち合いの解消が進み、安定株主に変わって外国人投資家が拡大し、株主の立場に立った収益性重視の経営に転じた、とする。

 もし、資産負債がすべて時価評価となれば、企業活動自体を健全に行っていたとしても、企業活動と離れた資産価値の変動によって、会社の自己資本がマイナスとなり負債が資産を上回る、という状態になってしまい、一気に倒産の危機にさらされることとなり、企業が極めて不安定な存在となってしまう。

 かかる事態を回避するために、企業は今以上に内部留保を高め、非正規雇用の拡大などに拍車がかかりかねない。
 
(4)長期的に企業価値を低める
 
 さらに、時価会計の全面適用がなされれば、今以上に企業は目先の利益拡大が至上命題となり、西武ホールディングスのように、投資家から、不採算部門(西武の場合は、地域の資源でもある鉄道)の切り捨てを求められることが日常化するのではないか。
 そのことは結果として長期的には企業価値を低めることになりかねないのではないか。

 少なくとも、会計上の資産と負債を全面的に時価(公正価値)で評価し、その差額である純資産の大きさを投資家(株主)にとっての企業価値(株主価値)の指標にすべき、というような全面的な時価会計基準は、我が国に馴染むものではない。
 
 時価会計基準の適用範囲の拡大は、日本の堅実な「ものづくり産業」を衰退させ、非正規雇用の拡大にも拍車がかかることは必至である。

 時価会計基準の適用が拡大していけば、「下町ロケット」の佃製作所のように、長期的な展望を持ってものつくりにチャレンジをする中小企業は絶滅しかねない。

 会計基準の問題は弁護士にとって盲点であるが、企業法制や労働法制と極めて密接に連関し合っていることから、常に注視が必要である。

【参考文献】
 ・岩崎勇「IFRS導入と公正価値会計の浸透」国際会計研究学会臨時増刊号2010年度
 ・福井義高「公正価値会計の経済的帰結」金融研究2011.8
 ・大畑伊知郎「日本経済を壊す 会計の呪縛」(新潮新書) 
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 以下は、金融資産課税などを検討するにあたって、その前提として、二元的所得税の点について、自分なりに頭を整理として書かせていただいたものです。不正確な部分もあるかと思いますので、おつきあいいただく必要は全くありません。

(1)二元的所得税とは
  二元的所得税とは、個人の所得を賃金・給与等の「勤労所得」と、利子・配当・キャピタルゲイン・不動産所得等の「金融・資本所得」〔以下、資本所得)の2つに分けて、勤労所得に対してはこれまで通りの累進課税を課すが、金融・資本所得は合計して分離し、比例税率を課すという税率である(財務省財務総合政策研究所「フィナンシャルレビュー」平成23年第1号「グローバル経済下での租税政策」森信茂樹17頁)。

 資本所得の税率は、法人税率や勤労所得の最低税率と同水準に設定されている。
 また、資本所得の中では、損益通算や損失の繰り越しは可能だが、勤労所得と金融所得の間の損益通算は原則として出来ない。
   
 この税制の考案者であるCnossenは、二元的所得税の基本的特徴として、以下の7点の要素を上げている。
 ①全ての所得を資本所得と勤労所得に分ける。
 ②資本所得は比例的な法人税率によって課税され、勤労所得は累進税率によって課税される。勤労所得の最低税率は法人税率と同水準に設定する。
 ③資本所得と勤労所得は完全に分離して課税される。あるいはまず法人税率で課税され、その後追加的に推進的な所得税率で課税される。分離課税により様々な形態の資本所得に対してフラットな源泉課税を課すことが可能となる。
 ④法人段階と株主段階の法人所得に対する二重課税は完全インビュテーションにより回避できる。同等の効果を持つ代替的な方法としては、株主段階で配当所得を非課税にすることである。
 ⑤企業段階の留保利益に対する二重課税は、株主に対して、法人税のかかる留保利益の分だけ株の簿価の引き上げによる回避することが出来る。代替的な方法としては、譲渡益を非課税にすることである。
 ⑥法人税の税率で資本所得を企業段階、あるいは支払い段階で、支払う主体から源泉徴税する。
 ⑦個人企業、非公開企業の収益は、資本所得と勤労所得に分かれる。資本所得分は、企業の資本価値に予想収益を適用して計算し、残りが勤労所得となる。

 以上のように、Cnossenが考える純粋な二元的所得税には、「資本所得に対する一律の源泉課税が、企業段階で行われる」という条件が加えられている。

 二元的所得税の背景としては、国際的な資本移動の拡大を背景に、移動性の高い資本に対する課税を軽減せざるを得ないという事情があった。特に高税率の北欧諸国では、租税回避活動が活発になり、適切な資本所得税が困難となった。
 
 そこで、税財源の確保と移動性の高い資本に対する低率課税というジレンマを解決するために、所得全体を資本所得と勤労所得に分割し、それぞれに対して異なる税率を課す、という方法が採択されるようになった。

 Cnossenが提唱した純粋な二元的所得税は、何処の国でも行われていないが、比較的近いのはノルウェーであるといわれている。

 二元的所得税の導入により、基本的に全ての所得が一律に課税され,労働所得については付加的な累進所得税率が適用されるようになった。

 二元的所得税の税額は、T=τ〔R-δK-rB〕+τrB=τ(R-δK)であり、結果的にCBITと同じとなる。

(2)二元的所得税の長所及び短所
  二元的所得税のメリットであるが、CBIT同様、株式調達と負債調達に対する中立性が確保される。また、株式発行と内部留保に対する中立性が確保される。

 しかし、デメリットとして、投資に対する中立性は確保されない。
 また、所得分割制度が二元的所得税のアキレス腱であるといわれている。

 自営業や非公開オーナー企業の経営者の所得は、勤労所得と資本所得の境目が必ずしも明確ではない。そのため、出来るだけ税率の低い資本所得で報酬を受け取ろうとする。こうした経営者の行動を防ぐ手段として、二元的所得税では所得分割制度がとられる。

 所得分割制度では、資本所得の帰属計算が行われ、それを所得全体から除くことによって勤労所得が計算される。
 ノルウェーでは、自営業者や能動的オーナーと呼ばれる、株式か配当の3分の2以上を保有しまたは受け取っている経営者に対して、所得分割制度に従った課税がされてきた。
 しかし、所得分割法の下で、家族経営企業が、家族内で株式保有率を変えるなどして、経営者の数を増やして受動的オーナー化する等の方法がとられ、所得分割を回避する現象を招いてしまった。
 
 Sorensen(2005)によれば、所得分割法に従う法人の割合は、1992年から2003年にかけて55%から32%に低下した、とされる。

(3)二元的所得税の問題点克服のためにいかなる税制改革が必要か

 ⅰ)二元的所得税の上記のような問題点を克服するために、ノルウェーでは2006年から所得分割制度が廃止され、株主所得税(SIT)が導入された。SITは、個人段階における株式投資の超過収益に対する資本所得税である。2006年からのSITを含む二元的所得税は、法人段階における資本所得と勤労所得の適切な分割を目指すのではなく、個人段階において株式投資の超過収益に対して、法人税とSITを合わせて勤労所得並みの課税を行うものである。

 SIT導入に伴い、インビュテーション法とRISK法が廃止されたが、SITは株式投資の超過収益のみに課税するため、配当やキャピタルゲインに対する二重課税は回避できる。

 また、RRAという帰属収益控除が翌年にステップアップされることで、内部留保による課税繰り延べの問題も排除できる。

 SITを含む二元的所得税は、所得分割という手法を回避しつつ、インビュテーション法とRISK法の下で実現されていた二元的所得税の利点を確保し続けており、二元的所得税の弱点を克服する取り組みと捉えられていた。

 ⅱ)しかし、株式取得税の欠点として、以下の点が上げられる。
 まず、投資の促進につながらない、ということである。個人段階の調整は、運用コストが高く、この点でACEの方がベターではないかと指摘されている。

 また、RRAは居住者のみが対象であり、ACEが外国人や非課税投資家にも適用されることに比べて、税収減が大きいという問題がある。
 また、社会保障費増加に対応して勤労所得税率を引き上げると、資本所得税率も引き上げざるを得なくなり、二元的所得税の利点が失われてしまう。

 ⅲ)そこで、より抜本的な法人改革案がいくつか提唱されている。
 Mirrlees Review が示した改革案は、基本はACEの利点を重視しつつ、二元的所得税の利点を合わせようとするものであり、1つは所得課税案(二元的所得税案)である。

 これは、資本所得は、勤労所得に対する最高税率よりも低い税率で課税する。
 また、個人事業主は所得分割制度を利用する。

 さらに、キャピタルゲインの「ロックイン効果」は、Vickrey(1939)の方向により回避する。

 もう一つは、消費課税案(株主所得税案)である。RRAによって正常利益が非課税とされ、安全利子率を超える利子所得がある場合には課税される、というものである。

 このように、抜本的な改革案が複数指摘されており、基本的にACEの利点と二元的所得税の利点を活かしていく方向性が望ましいものと思われる。

 ⅳ)そのほか、二元的所得税に対しては、高所得者に偏る金融所得を分離して低率で課税することから、垂直的公平性の観点から問題が多いという批判が継続的に行われてきた(上記森信茂樹氏「フィナンシャル・レビュー」誌上「グローバル経済下での租税政策」19頁)。
 これに対して、二元的所得税を導入したスウェーデン、オランダ、ドイツの税制改革を全体としてみると、給付付き税額控除の導入、住宅手当や子育て支援等の社会保障支出の拡充が同時期に行われており、意図したかどうかはともかく、効率的な税制という観点からの二元的所得税の導入に伴う垂直的公平性への懸念に対して、社会保障支出の拡充と組み合わせることにより、つまり、税と社会保障の一体的改革により、全体としてバランスを取っていると考えられる。

 各国とも国境を越え、ヒト・モノ・カネが自由に行き来するグローバル時代の租税政策として、効率と公平のトレードオフに悩みつつ、北欧諸国等では、二元的所得税の導入と社会保障支出の拡充を一体とした政策運営を行っている、と森信氏は評している。 

 ⅴ)我が国の税制は、とかく消費税のみが議論になりがちである。先の「社会保障と税の一体改革」も名ばかりで、社会保障と税との一体改革となっていない。
 北欧等で進む二元的所得税などと、それに伴う社会保障全体の一体改革の教訓を学びながら、我が国でもACEと二元的所得税を基本にしつつ、本来的な意味での税と社会保障の一体改革も含めて、抜本的な税制改革を進めていくことが切望されるところである。
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 3月18日、「空き家対策の現状と取り組みの可能性について」の勉強会を、名古屋第一法律事務所にて行いました。名古屋市の担当職員の方を含め、不動産業者さん、建築士さんなど、かねてより懇意にさせていただいている方々に集まっていただき、様々な角度から、空き家問題について議論を行いました。

 まず、名古屋市の「名古屋市空家等対策の推進に関する条例」と、「空家等対策の推進に関する特別措置法」の解説(細かいところは、名古屋市の職員の方に正確なご助言いただきながら)を当事務所の田原弁護士から行い、問題点についての議論を行いました。

 続いて、空き家の利活用についても名古屋市職員の方にご報告いただき、その上で議論を行いました。一戸建ての賃貸は日本ではなかなか進んでいませんが、その利活用の可能性について積極的な意見が交わされました。

 短時間に多岐にわたる論点を議論したので、まとまりがなかった部分がありますが、多角的に議論した結果、様々な問題点が見えてきました。それぞれの課題にどう取り組んでいくかはこれからの課題ですが、課題が見えただけでも勉強会を企画した甲斐がありました。

 ご参加いただいた皆さんには心から感謝申し上げます。

 今後も、名古屋第一法律事務所として、今社会問題となっている空き家問題について取り組んでいきたいと考えております。

 実際に相続が未了などで空き家になってしまっている「空き家」を持っている方はもちろん、近所に問題のある空き家があって悩んでいる方・あるいは相談を受けている町内会長さん、不動産業者さん、税理士さん、建築士さん、リフォーム・リノベーション業者さん、自治体など、多くのステークホルダーの方々と、連携してこの問題に取り組んでいきたいと思っております。

 空き家問題に市民の関心が高まっている中で、とりわけ、不動産に関わる職業の皆様は、空き家条例や空き家特措法などついて聞かれることも多いと思います。
 私どもでまとめた、名古屋市空家対策推進条例の解説の簡単な資料を作りましたので、もし、ご入り用でしたら名古屋第一法律事務所(052-211-2236)の川口まで、御連絡下さい。送料はご負担戴きますが、資料は無料でお送りさせて戴きます。

 遠慮なく、御連絡下さい。
 一緒に、空き家問題に取り組んでいきましょう。



 
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本日(2013/05/23)、京都大学の芝蘭会館で行われたクレッチマン・バーデン=ビュルンテンベルク州首相を迎えてのシンポジウム「日独におけるエネルギーシフト~地域社会と市民の役割」に参加してきました。

クレッチマン氏は、ドイツで初めて、州議会選挙で緑の党が第一党を獲得し、その州の首相になったということで大変注目されています。
ドイツ大使館の招聘で5月20日から24日に来日され、その最後の日程で京大に足を運んで下さいました。

クレッチマン氏の発言はかなり示唆に富むものでした。

話された内容は、別途かなり詳細にメモを取ったのですが、量が多いので、ここでは開示しません。

シンポの内容を正確にお知りになりたい方には、期待に応えられずすみません。

個人的感想を中心に述べさせていただくこと、ご容赦下さい。

まず、僕が感じたのは、少なくともクレッチマン氏らは、単に「環境」とか、「脱原発」ということだけで州の政権を握っているわけではなく、かなり経済政策を意識した政策を実行している、ということです。

特に重要だなと思ったのは、エコロジーとエコノミーを両立する形で捉え、「イノベーション」として再生可能エネルギーへのシフトを行っている、ということです。

まさに「ワクワクする」「イノベーション」を「市民みんなでやっている」というところが、こういった大きな政策をするためには大事なのではないかなと個人的に思いました。

それから、電力の固定買取制度の導入について、「どんな職業の人であれ、株に投資するのではなく、再生可能エネルギーに投資を」と仰っていました。

どんな社会を作るのか、ということと、個人個人の経済的インセンティブを両立させていくところも大事なんだと思いました。

投資先として誘導できる固定買い取り制度をどう進めていくか、ドイツからもっと学びたいと思いました。

「べきだ」という権利義務的は捉え方だけで政策を作るのではなく、個人や企業が「したい」と思えるような「インセンティヴ」を設定して誘導し、政策を実現するということも大事、ということを今日改めて実感しました(法学部出身の僕はどうしても権利義務的に捉えがちで、ここが弱点です)。

また、これまで、市民はエネルギーの受給者であったのが、いまやエネルギーを作る事業者になった、ということもとても大事だと指摘されていました。

その話を聞いて、1月ほど前、都内で田中優さんと食事をさせていただいたときのことを思い出しました。

田中優さんからエネルギーの地産地消の実践の話を聞き、「エネルギーの地産地消によって、電力会社に生殺与奪権を握られている個人から、自立した個人と地域をつくり出し、地域社会と民主主義を変える」と思ったのですが、まさに、ドイツでは現在そういった地殻変動が起こっているのだと感動した次第です。

エネルギーが地域で作られることは、「地域で価値が生み出される」ということも指摘され、まさに再生可能エネルギーの地産地消は、地域経済にも資することにもなります。

クレッチマン氏がお話の結論で示された、今ドイツで進んでいるエネルギーシフトは、「地域社会と市民とエネルギーの関係を大きく変えていく」ということに、納得し、ワクワクした次第です。

そして最後に、もう一つ、良い一言がありました。


「知見は素早く応用し、市場に提示することが大事」

これ大事ですね。

他にも、エネルギー協同組合などのことや、市民参加のこと、「スマートグリッド」から「エネルギーインターネット」へ、ということなど、ワクワクする現在進行形の実践と、豊かな知見を伺うことが出来ました。

早速、自分も出来るところから「応用」していきたいです。
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消費税の逆進性対策について、議論をまとめてみました。

(1)消費税の逆進性
 逆進性を持った租税が逆進課税であり、所得や資産の額が小さくなるほど、その額の中に占める税額の割合が大きくなる課税を言い、累進課税の反対概念である。
 一般に高所得者よりも低所得者の方が所得のうちに消費に回す割合が高いと考えられるため、消費一般に対して課税する消費税は逆進性を有する、とされる(「国立国会図書館 ISSUE BRIEF 749「消費税の逆進性とその緩和策」加藤慶一より)。
 逆進性の問題に対する緩和策としては、軽減税率と給付付き税額控除が上げられる。
 2013年1月時点で、与党は軽減税率の検討をしているが、議論自体は進展せず、先送りを早々と決めた。

(2)軽減税率について
 政府が検討している軽減税率は、果たして消費税の逆進性を解決するのか。
 確かに、軽減税率の導入により、確かに富裕層と貧困層の税負担率の差は縮小する。
 しかし、富裕層も軽減税率の恩恵を受けることから、絶対額で見た場合、富裕層の軽減税率の恩恵を受けてしまうことが統計的にも明らかとなっている。

 さらに、複数税率の1つとして、贅沢品と生活必需品と出分けるということも考えられる。
 フランスでは、キャビアが標準税率19.6%で課税されているのに対して、フォアグラとトリュフは軽減税率5.5%で課税されている。マーガリンは標準課税で課税されるのに、バターには軽減税率が適用される。これらの背景には、国内業者に対する配慮があるとされている。
 また、良く紹介される例として、イギリスでは、標準課税の外食と、軽減税率の食料品を分ける基準として、「気温より高く温められたかどうか」が採用されているが、その基準の妥当性については議論がある。
 カナダでは、ドーナッツを6個以上購入すれば、軽減税率が適用されるが、5個以下では標準課税が適用されている。ドーナッツを多く買う、ということは、貧しい家庭であるという推定の下に、多く買う場合には軽減税率が適用されているらしいが、ドーナッツ会社の利益になっているだけのようにも思える。

 また、複数税率については、取引毎にやる必要があるため、一般にインボイスが必要とされている。しかし、日本はヨーロッパ諸国と異なり、インボイスを取っていないため、複数税率を設けることは技術的にそもそも困難である。 

 そうなると、消費税の逆進性を軽減税率の導入によって解決することは困難である。

(3)解決策としての給付付き税額控除
 では、どのような解決方法が考えられるだろうか。
 この点については、給付付き税額控除の導入が望ましいとの主張が強く唱えられている。
 給付付き税額控除とは、社会保障と税制を一体化した仕組みであり、所得税の納税者に対しては、税額控除を与え、控除しきれない分や課税最低限以下の者に対しては現金給付を行うというものであり、現在、欧米各国で採用されている制度である。

 ⅰ)消費税の逆進性の解消を、消費税の枠の中だけで解消する必要は必ずしもない。
 所得税なども含めて総合的に対応し、「個人所得税減税プラス所得税増税」を実現し、逆進性を緩和するということが考えられる。
 しかし、個人所得税がゼロ、という低所得者の場合、それ以上の減税が出来ず、消費税増税の負担だけをもろにかぶってしまう。
 そこで、給付付き税額控除が考えられる。

 給付付き税額控除の利点としては、消費者の財・サービスの選択を歪めない、という意味で中立的であり、効率性を阻害しない。また、所得を適切に把握した上で本当に必要な者に恩恵を及ぼすことで、効果的な再配分が可能となる。
 給付付き税額控除は、実際にカナダなどではかなり行われている。カナダの「GSTクレジット」は、付加価値税であるGST(Goods and Service Tax)が1991年に導入された際、生活必需品にかかるGST負担を還付する目的で導入されたものである。
 税額控除といって、灯油やガソリンなどについては消費税で徴収しても、所得税で戻す、ということを行っている。
 
  もっとも、現実には計算が困難であり、家族控除のような形が取られている。
  カナダの事例などを参考に、我が国でも給付付き税額控除が検討されるべきである。

   
 ⅱ)さらに日本では、税と社会保障の実行負担率を見た場合、社会保険料の逆進性の問題の方が深刻である。

 逆進性という点では、消費税の逆進性単独の問題よりも、消費税も含めた税と社会保障全体の逆進性の問題の解消が必要である。
 そこで、税と社会保障を一体的に捉えて、所得税の方で調整して返すということも検討されてしかるべきである。 
 しかし、日本では、税は国税庁、社会保険料は日本年金機構と別々であり、また所得情報は国税庁と地方自治体に分散している。

  したがって、少なくとも国税庁と日本年金機構とで、この点の一体化が必要であるが、「社会保障と税の一体改革」という名の先の「改革」では、こういった本質的な意味での「一体化改革」は何もされることなく、消費税増税だけが決まった感が否めない。

  社会保障の負担の「逆進性」の方が遙かに問題であることからすれば、税と社会保障を一体的に捉えた上での逆進性の解消をしなければ、実質的な「逆進性」は何ら解決しない。

  本質的な「社会保障と税の一体改革」が求められる。
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 日本で「地域の活性化」のために繰り返されてきたのは、企業誘致と大型公共事業である。

 安倍政権の「国土強靱化」のための大型公共事業政策もその延長であるし、また、松下幸之助ら関西の財界が戦後訴え、橋下氏がひきついで訴えている「道州制」も、大型公共事業を「道州」内で積極的に行えるようにする、という点で、同じ発想が根底にある。

 道州制になれば、たとえば確かに関西圏の中で第一の都市である大阪に、圏内の「ヒト、モノ、カネ」を集中させ、大型公共事業も集中する。そこで、一時的に大阪の浮上にはつながる可能性はある。

 しかし、域内の第2の都市以下は大きく衰退する、と指摘されており、神戸や京都の地盤沈下は進む可能性が高い。
 したがって、道州制は少なくとも「全国民の利益」にはならない。

 しかし、「大阪市の利益」にはなる可能性も一時的にはある。

 そう考えると、橋下氏が参議院議員に、大阪市長の立場としての兼職を求めていることについては、「なるほど、全国民の代表としてではなく、大阪市の利益を追求して国会に行こうとしているのか、」と合点がいく。

 しかし、道州制になったとしても、大規模公共事業に依存する限り、結局は大阪も含めて衰退してゆく可能性が高いことは、関西国際空港などの大型公共事業や企業誘致型地域開発政策の失敗が物語っている。

 なぜ、大型公共事業や企業誘致型地域開発政策が失敗するのか。 

 それは、大型公共事業は、実際には地域経済への波及効果が少ない上、地域財政、環境に負担を残すからである。

 関西国際空港も、自治体の名前をネーミングライツしようとまでしている泉佐野市など、自治体の多大な負担や、関西の企業の負担がとても重かった。

 しかし、工事を受注した企業の多くは外資や東京に本社のある大手ゼネコンであった。そのため、負担は地元に残り、利益は東京や海外に流れていく、という構図が出来てしまった。

 また、三重県の四日市など、コンビナート政策では、大企業を誘致した結果、利益は東京に、公害の被害は地元に、つまり、利益は東京にもっていかれ、負担は地元の住民が負う、という構図が出来てしまっている。
 
 これまでのコンビナート政策を見ると、企業誘致は成功しても、その利益は本社(多くは東京)に移転され、地域内での再投資がされなることが少ない。

 特に最近はやりの最先端事業に至っては、地元で他の中小企業などとの連携がないため、域内再投資がほとんど生じてもいない。

 バブル崩壊後の20年の間でも、東京の利益移転が増大しており、地域から東京への利益の移動、という構図がさらに構造化している。

 最近よく、東京の利益を地方に交付金として配分することの問題が指摘されるが、そもその東京の利益は、地方の住民が労働者として生み出した利益が東京に移転してした結果であるとも言える。その、実態を踏まえて議論がされるべきだ。

 さらに、三重県の亀山のように、県を上げて多額の補助金を出してシャープなどを誘致したにも関わらず、極めて短期の間にシャープは撤退し、県の財政的負担だけが残った、ということも記憶に新しい。

 この原因としては様々なことが指摘されるが、短期間でモデルが大幅に変更する最近の家電業界などでは、大型投資が継続的な利益を生み出さなくなってしまっている、という構造的な問題も指摘されている。

安易に企業誘致(特に東京に本社がある企業誘致)を進めたり、大型公共事業を進めたりしても、地域の活性化にはつながらないばかりか、どんどん利益を吸いあげられ、負担ばかりが重くのしかかる、という地域の実態が拡大再生産されてしまう。

 貧困や格差の問題に直面する中で、地方の雇用を何とかしたいと地方在住の誰もが思うだろう。

 しかし、安易な企業誘致や、大型公共事業に活路を求めても、今まで以上に不安定雇用を拡大し、負担ばかり増える。負のスパイラルを拡大するだけだ。

 これは、道州制にしたところで、全く解決しない問題である。

 むしろ大型事業を安易に進め、東京へ移転する地域の利益を増大させ、地域の負担を拡大する、という点で、地方(東京以外)の地盤沈下を拡大する危険性が高い。

  
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 昨年末、2012年12月1日、2日に、高知市で開かれた「日本地域経済学会」の第24回大会の2日目に参加させていただいた。2日目の共通課題シンポジウム、「人口減少社会と地域再生」というテーマに大変関心があったからである。

 パネリストは、松谷明彦先生(政策研究大学院大学)、中山徹先生(奈良女子大)、松永桂子先生(大阪市立大)の3氏であった。

 松谷先生からは、日本の人口減少と高齢化の速度が主要先進国の中でも異常に速すぎること、その原因は、1945年ころの「産めよ増やせよ」政策と、1946年ころの「優生保護政策」による「大幅に減らせ」といういびつな産児操作が原因であり、他の先進国のような「一般的減少」ではなく、「構造的減少」であること、ベビーブームと第二次ベビーブームの2つの「ヤマ」がある、ということより、その間の大きな「谷」があることが構造的な問題を引き起こすことなどを、統計を下に示された。

 もはや、超人口減少社会に突入したことは間違いない。人口が減少すれば、労働人口が減少し、国としての経済力が落ちるのは当然である。この構造はもう変えられない。平成24年生まれを、平成25年になって増やすことは出来ないからである。平成23年以前生まれも同じである。向こう20年、30年の労働人口は、すでにはっきりしているのである。

 日本は、機械化も限界に達し、投資財産業は縮小し、消費需要も多様化していく。人口の流れも大きく変わる。今までは、地方の高齢化が問題であったが、今後は地方の大幅な多死化による人口減少(ようは、高齢者がたくさん死ぬ、ということ)が進む、ということと、大都市では、遅れて急激な高齢化が進む。

 高齢化が進めば、作業能率が大きく下がる。その結果、東京の労働力率が群を抜いて下がってしまう。東京の勤労世代の負担増の速度が急激に進み、東京の高齢者対策による財政収支の圧迫と、経常的財政収支の困難化が加速度的に進む。

 その結果、2025年をピークに、大都市圏における一人あたりの国民所得が一気に下落し、高知県や島根県などを遙かに下回ってゆく(逆に秋田県など、現在すでに過疎地対策を取っていることは、緩やかに国民所得が伸び続けるらしい)。

 特に都市部において深刻な事態が招来することは避けられないことが、統計を下に具体的に示された。

 また、中山徹先生は、アメリカの人口減少による街の「空洞化」の現状と、日本でも全国各地の「郊外」のかつての「ニュータウン」で空き家が拡大し、治安が悪化していることなど、具体例を示された。

 その上で、人口減少(人口流出)が進んだ旧東ドイツなどで行われている団地の「減築」(たとえば10階建ての団地を5階建てに建て替えるとか、10棟のうち3棟を壊して公園にするなど)を紹介され、「日本でも都市計画として街を計画的に「減築」していかないと、大変なことになる」と強く訴えられた。

 また、街が拡大し、経済が拡大していくことを前提としている時には財政確保がしやすいが、逆に街を小さくしていく時には、その財源の確保が課題であることなどが提起された。

 
 かなりショッキングが問題提起が続いたが、同時に現在の過疎地での地域再生の具体例が示されるなど、明るい方向性も示され、極めて有意義な大会であった。

 超人口減少・超高齢化社会が現実に進行している。

 「減築」という点では、団地などの「減築」や街の「スマートシティ政策」などの都市政策としての「減築」だけでなく、人口拡大と経済成長を前提に作られた社会制度そのものを、意識的・計画的に「減築」してゆくことが緊急の課題ではないか。

そこを野放しにしてしまうと、社会全体のバランスが一気に崩れ、日本社会が崩壊しかねない。

 問題が深刻化してからでは遅い。

 都市政策や過疎地対策のみならず、年金制度などの社会保障制度や、経済政策、国土保全政策なども「社会的減築」という観点から意識的・計画的に対策を進めていく必要がある。

 しかし、 自民党の経済政策を見ると、人口が増大していくことを前提にした、「高度経済成長」時期の大型公共事業政策そのものである。

 一時のカンフル剤として、株価などは上昇するだろうが、実体経済の成長は続かず、負担ばかりがさらに拡大することは目に見えている。

 超人口減少・超高齢化社会が現実に進行しているのである。いつまでも「経済成長神話」に依拠した経済政策をしていては、ミスマッチが拡大するのみで、問題が拡大する。

 経済成長の神話に依拠した経済政策からいい加減脱却し、社会を上手くたたみながら、経済が持続できるように「社会的減築政策」を進める必要がある。

 時間的猶予はない。
 
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