カテゴリ:刑事裁判( 9 )

 先ほどのブログの原稿では、「冤罪」について書かせていただきました。

しかし、刑事弁護の中で「冤罪」と思われる事件はそう多くはありません。

 私が日頃取り組ませていただいている刑事弁護も、ほとんどは犯罪を犯したこと自体は争いのない事案です。そういった事件に真剣に向き合うことも、もちろん刑事弁護人としてとても大事な仕事です。

 被害者の方がいる事件であれば、身柄拘束されている被疑者・被告人に成り代わり、謝罪に伺い、被害弁償を行うなど、とても大事な役割です。時として、被害者の方から罵倒されることもありますが、そういった被害者の方のつらい思いを被疑者・被告人に率直に伝えることで、被疑者・被告人の反省を深めさせ、更生につなげていくことも大事だと思います。
 
 なお、刑事弁護としては、とかく「示談」の獲得に目が行きがちですが、仮に示談が出来なくとも、被疑者・被告人の謝罪の思いを被害者側に真摯に伝えることで、被害者の方の被害回復に少しでもつなげていくことは、刑事弁護人として大事な役割だと思います。

 つらい仕事であることは否めませんが、被疑者・被告人にとっても、被害者の方にとっても大事なことだと思います。

  また、最近は貧困が背景にある事件が増えている印象を強くしています。

 こういった場合、単に執行猶予を取って終わり、ということでは済まされません。
 拘置所から出たその日からどう暮らしてゆくのか、という問題が生じます。
 ケースワークも含めた対応が必要です。私の場合は、名古屋の生活保護の支援グループなどにつなぎ、その後の繋がりも切らないように努めています。
 
また、近頃も話題になっている薬物事案については、長期的な治療や薬物を断ち切るための支援が必要です。
 しかし、日本は薬物に対する治療体制や再犯防止のための支援体制が極めて脆弱です。どうも報道などを見ると、「罪を償え」で終えてしまい、さらには「犯罪者」として社会から排除しようとする傾向が強い気がします。
 もちろん、薬物に手を出したことを厳しく問うことは大事ですが、大事なのは、二度と薬物に手を出さないこと、そのために本人がどう努力し、そして周囲や社会が、どう支援できるか、ということだと思います。その支援がなければ、十分な「更正」にはつながりません。

長いスパーンで本人が「薬物に手を出し続けない」環境を作っていくことが必要です。そのために本人が頑張るのであれば、その支援を社会的に支えていくことも必要なのではないでしょうか。

 犯罪に手を出してしまった人が、二度と同じ過ちを繰り返さないために、医療機関、NPOなど多くの方達とのネットワークを、もっと大きく、強くしていきたいと考えています。
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■刑事弁護に向き合ったきっかけ

弁護士10年あまりの間、結果として多くの刑事弁護の仕事をしてきました。地検特捜部相手の事件も含めて、無罪判決も複数獲得してきました。

もともとは、自分自身が交通事故の被害者であったことから、犯罪被害者支援などに関心があり、刑事事件にさほど関心があったわけではありませんでした。

しかし、司法修習の中で、被疑者・被告人も、捜査機関との関係では圧倒的な「弱者」の立場に立たされていること、その力関係の中で、時として行きすぎた捜査がなされることがありうることなどを痛感しました。

また、私が弁護士になろうとしていた頃は、まだ弁護士が増員される以前で、国選弁護の引き受け手が足りない状況でしたから、若手の弁護士が国選弁護を一生懸命やるのは当然の責務だ、という感じがありました。

ですから、もともとは刑事弁護をやることを強く志したわけではありませんが、刑事弁護は弁護士である以上すべき仕事、という認識を持ってはいました。むしろその程度、といった方が良いかもしれません。

■弁護士2年目の刑事弁護が契機

弁護士2年目の時、弁護士会の副会長から「引き受け手がいなくて残ってしまったので、やってくれないか」と頼まれ、断ることなど出来ずに控訴審の国選事件を引き受けました。

罪名は強盗殺人未遂被告事件。一審は有罪、実刑(懲役)でした。

刑事裁判の控訴審は「事後審」といって、原審を事後的にチェックする場であって、一から証拠調べをやり直す、というようなことは認められません。両手両足を縛られながら、ボールを投げろ、と言われているようなものです。

それでも事件の概要を分析し、事件に関わる現場に何度も足を運び、多くの関係者に会って話を聞くなどの調査活動をしていくうちに、これは冤罪である、という確信を強めていきました。

警察は、強制捜査という権限と警察の組織を使って捜査ができますが、弁護士は一私人ですので、一人で、地道に「捜査」をしていかねばなりません。

膨大な調査を行い、さまざまな客観証拠を積み重ねた上で、一審の誤りを追及し、一審を上回る時間の証人尋問を経て、無罪判決を勝ち取りました(この件は、「季刊刑事弁護」という誌上で、当時の最優秀新人賞を受賞させていただきました)。

被告人の方は「有罪が確定したら、死して無実を訴えようとしていました。冤罪が晴れて言葉もありません。ありがとうございました」と深く頭を下げられました。「弁護士冥利に尽きる」というのはこういうことを言うのかな、と思わされました。

同時に、弁護士が力を尽くさねば、「有罪」のベルトコンベアは止められない、冤罪を阻止するのは弁護士が頑張るほかない、と痛感しました。

■刑事弁護人としての責任

その後、地検特捜部が立件してきた会社の事件で、会社側について無罪判決を獲得するなどしてきました。

しかし、冤罪を晴らす、という点では、その何倍もの刑事弁護で目的を達成できず、悔しい思いを強いられてきたのも事実です。

日本では、起訴をされれば99.9%有罪の世界です。有罪のベルトコンベアを警察、検察、裁判所が一緒になって回している、と思わざるを得ないケースが多々あります。

99.9%の壁と、捜査機関、訴追機関と、弁護士との間で圧倒的な力の差がある中で、弁護士としての無力感を感じることは多々ありますが、現状を悲観していても始まりません。

冤罪と思われる事件に対しては、100%の力を出してもダメであれば、120%の力を出そう、と思い、力を尽くすほかない、それが刑事弁護人の責任だ、と思い、今も一つの事件に力を注いでいます。
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一審で無罪となった小沢氏の事件について、検察役の弁護士が控訴をしました。

明らかな事実誤認がある、ということが理由のようですが、他方で、主張した事実はほとんど認められたのに、無罪となってしまったなどとも言っています。
そして、一部マスコミも「灰色無罪」というような表現を使うなどしていました。

しかし、事実認定を積み重ねることと、最終的にそれが法的にどう評価されるかは別です。

検察側の主張立証した事実が仮に認められたとしても、その事実を前提に、法的評価としてはやはり、故意や共謀を認めるまでには至らなかった、ということであれば、それは立派な無罪判決です。

「灰色無罪」などと安易に評価すべきではありません。

「灰色有罪」、つまり「疑わしきは罰す」というイメージを広げることが、さらに冤罪を産み出す温床を作っていくことになる、ということを、もうすこし自覚していただきたいものです。

今回のマスコミの報道には、かなりの疑問を感じざるを得ません。

そもそも、99.9%有罪というのが日本の刑事裁判の現実です。

建前として無罪推定とは言いますが、現実には法廷の中では強固な有罪推定が働いているのです。

そんな中で、被告人の弁護士は、0.1%の無罪判決を勝ち取るために、徹底的にぎちぎちやって、最終的に「ぎりぎりの所での無罪判決」を、何とか必死にもぎ取るのです。

検察側から見れば、99.9%有罪の中で、しかも、裁判所も検察側の主張に基づく事実認定を一定するのは当然ですから、無罪判決が出たときに「おしい」と感じ、判決が「おかしい」と感じてしまうのでしょう。

しかし、「99.9%有罪」の世界で生み出された無罪判決は、総じて「ぎりぎりの無罪」です。

逆に言えば、原則通りに有罪にしたくとも、裁判所にはできなかった、ということなのです。

だからこそ、その無罪判決に重みがあり、その判断は、特に無罪推定の原則から、最大限尊重されなければならないと思います。

また、刑事事件の控訴審は事後審ですから、新たな証拠を出すことは原則として認められません。

その中で、原審の無罪判決を、論理の点で論破できる確証がない限り、控訴は断念すべきです。

今回の控訴については、幾重にも、疑問が残ります。
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小沢氏の無罪判決が出ました。

日本の刑事裁判は、99.9%有罪ですから、事前に無罪判決の可能性が高いと報道されていても、現実に無罪判決がでることは最後まで厳しいと率直に思っていました。

僕自身は、無罪判決は複数取っていますが、無罪判決を予想していたこともなければ、まして「無罪判決がでて当然」などと思って判決日を迎えたこともありません。

小沢さんの弁護団も、内心、ドキドキしながら、今日を迎えたのだと思います。

小沢さんの事件とは全く関係ありませんが、私自身が数年前、特捜部が起訴してきた事件(自民党の反小泉派の国家議員との関係を疑われた会社を、特捜部がつぶしにかかった事件)で無罪判決を取った時にも、「故意、共謀の点が否定されて無罪」という判決の構造でした。

この事件と、小沢さんの事件の構図が意外によく似ていました。
自分のそのつたない経験の限りで言えば、裁判所が無罪を出すとすれば、その理由は「故意・共謀の否定」という着地点しかないだろうと思います。

おそらく、小沢さんの弁護団も、最終的には、そこに着地することを狙った弁護活動をしてこられたのだと思います。

小沢さんの弁護団の中心は弘中先生ですが、他に、ずっと小沢さんの傍らにいる弁護士でM弁護士という方がいます。Mさんは、もともと小沢さんの秘書で、その後司法試験に受かって弁護士になっています。
Mさんは私の事務所で司法修習をされたので、Mさんが修習生の時から個人的に親しくさせていただいています(考え方や生き方などは全く違いますが)。
本当に、礼儀正しい、誠実な方です。

今は赤坂に法律事務所を構えていますので、僕が永田町に議員の方に話をさせていただきに伺う際、空いた時間があれば、陣中見舞いにお土産を持って激励してきました。

Mさん、本当にお疲れ様でした。本当によかったですね。
近く直接ねぎらいに行きたいと思っています。

最後に、個人的な期待です。

小沢さん自身を、政治家としてどう評価して良いのか、答えは出ません。

好きか嫌いかと言えば、僕にとっては好きな政治家とは言えないというのが率直なところです。

しかし、今、小沢さんには、消費税増税に反対していただき、子ども子育て新システムなど、どさくさ紛れに野田政権が通そうとしている悪法を葬り去るために、是非力を発揮していただきたい、と期待せざるを得ません。

小沢さんの無罪を喜んでいる人が少なくない感じがしますが、消費税増税に突き進むばかりの野田政権を止めて欲しい、という思いが多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

震災の後、多くの国民が苦しんでいる中で、今、消費税を上げることにのみ、全力を注ぐ野田政権は、本当に異常だと思います。

東北選出の小沢さんだからこそ、国民の生活が第一、と訴えてきた小沢さんだからこそ、掲げられる旗があると思います。

僭越な言い方ですが、このタイミングで無罪判決が出たことの政治的な意味を良く理解いただき、今こそ国民の生活が第一の旗を掲げ、国民のために死力を尽くしていただきたい、と勝手ながら、超外野から願っています。
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「冤罪ファイル」という雑誌の最新号(15号)に、僕が弁護士2年目に勝ち取った、最初の無罪判決のことが載っています。「名古屋強盗殺人未遂事件」というタイトルで載っています。
もうだいぶ昔の事件ですが…。

 ウェブ上で一部立ち読みも出来るようです。
http://enzaifile.com/publist/shosai/new.html
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犯罪で圧倒的に多いのは窃盗事件である。

数年、検挙数は減ってきているようであるが、それでも断トツである。

私がここ数年で国選事件で担当した窃盗事件では、貧困を背景にした窃盗が増えている、という印象を持っている(なお、私は無罪判決を複数得ているが、うち2件は国選である。基本的に国選をしっかりやる、ということを大事にしており、私選で刑事弁護を積極的に受けることはしていない)。

私が担当した国選事件の方で、数年前までしっかりした会社で働いていたが、リストラとなり、離婚したうえ、いわゆるホームレスとなってしまった方がいる。

その人は、数年前、図書館の本を持ち出して窃盗で検挙され起訴をされてしまった。その件では執行猶予になるも、その1年後、お金も底をつき、売店の弁当(600円くらい)を窃取し、警察に突き出された。

示談をするお金もなく、起訴された。

起訴後、私が国選弁護人として受けた。

この人の置かれている貧困を打開しない限り、窃盗を繰り返す可能性は変わらないことは明らかであった。そこで知人のホームレス支援のNPOにつなぎ、住居が定まらないと仕事に就けない悪循環を立つために、まず暫定的な住居を確保。
その後、就労先などのあたりもつけ、就労の上被害弁償もする、再犯をさせない環境を作る、と裁判官に力説し、何とか再度の執行猶予を、と求めた。

しかし、裁判官は、被害弁償が出来ていないということを理由に、実刑とし、前回の執行猶予も取り消し、彼は一定長期間、刑務所に行くこととなってしまった。

図書館の本と、600円の弁当の窃盗で、長期の刑務所暮らしである。

被害弁償をしてくれる身内などのセーフティーネットがあれば、同じ過ちを犯した時点でも、その後の処遇は変わっていた可能性は十分ある。

被害弁償が出来る人的物的資源があるか否か、という点で、処遇が変わり、人的物的資源がないために、刑務所に行くこととなる、というケースは少なくないと思われる。

貧困であるために、容易に社会から排除されてしまう構図が見えてくる。

不公平である、と素朴に思う。

窃盗事件から見えてくる、悲しい今日の現状である。
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緊急企画です。
時間が迫っていますが内容の濃い企画です。
是非ご参加下さい。
周りに広げていただくと助かります。

■ 隠された真実 冤罪と司法のあり方を問う
■ とき: 1月22日(土) 13時30分~  
■ 資料代 500円
■ ところ: 名古屋第一法律事務所3F 地下鉄丸の内エレベーターで地上へ徒歩3秒。
   丸の内2-18-22 三博ビル
■ 講師: 柳原三佳さん 交通ジャーナリスト
■ 講師: 稲垣仁史弁護士 名張毒ぶどう酒事件弁護団  名古屋第一事務所

  ● 柳原三佳さん  ジャーナリスト・ノンフィクション作家。
  コピーライター、バイク雑誌の編集記者を経てジャーナリストとして独立。
 交通事故、司法問題等をテーマに執筆や講演活動を行う。「週刊朝日」などに連載した告発ルポをきっかけに自賠責制度の大改定につながったことも。
  2004年からは死因究明問題の取材にも力を入れ、犯罪捜査の根幹に一石を投じてきた。
  著書に「交通事故被害者は二度泣かされる」「自動車保険の落とし穴」「死因究明~葬られた真実」「焼かれる前に語れ」「交通事故鑑定人」「裁判官を信じるな」など多数。
  実父を医療過誤で亡くし、自らも医療過誤被害を受けた経験があり、現在は医療問題にも精力的に取り組んでいる。

  ● 愛媛白バイ事件
  2004年11月8日 右折待ちをしていた少年の大型スクーターに、緊急走行中の愛媛県警白バイが衝突した事故。この事故も事故を起こした白バイ隊員がありもしないことを証言したため、事件となった。
  少年はワゴン車の後にバイクを停めて、その車の後に続いて右折するつもりでバイクを停車させていた。
 すると、ワゴン車は急発進して右折したが、少年の目の前には白い物体が当然現れて衝突してきた。
 その白い物体が白バイである。白バイ隊員怪我は軽症。しかし、大きくはね飛ばされた少年は重傷を負った。
 松山家裁でこの事故は審理されたが、なんと、白バイ隊員側は事故原因を、少年の無理な右折として主張して。家裁はそれを認定。保護観察処分を言い渡した。
 止まっていたバイクに白バイがぶつかってきたのだが、現場検証では止まっていた少年のバイクのスリップ痕が出てきたり、事故目撃者は少年の家族の知人だから信用できないとか。
 終いには、事実追求を求める少年の母親を『異常人格』とまで捜査報告書に、 愛媛県警は書いた。

  ● 稲垣仁史弁護士
  名張毒ぶどう酒事件弁護団 30年以上も前に製造中止になっていたニッカリンTを農薬専門インターネット掲示板を使って研究者を探し出し、新証拠となる未使用のニッカリンTを執念で探し出し、再審への道を切り開く。名古屋第一法律事務所所属。

■ 主催: 弁護士  川口 創 (ときどき勉強会)

■ 問合せ連絡先:  名古屋第一法律事務所  電話 052-211-2236
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■■雑誌「SIGHT」誌2011年冬号で、「日本の有罪率、99.9%の何故?」として、刑事裁判の問題を特集しています。とても重要な内容がわかりやすく書かれていますので、是非お手にとっていただければと思います。

この間、取り調べ可視化の議論が進んでおり、望ましいことです。「可視化」とは単に「取り調べ状況をビデオでとる」ということだけに限りません。完全可視化を求めて行きたいと思います。

■■さらに、以前も述べましたが、まず「可視化」ですが、「可視化」だけでは不十分ではないかと考えています。

検察官が取り調べをした「調書」は、ほぼ採用されるのが現実で、いくら被告人が無実の叫びを法廷でしたとしても、裁判官は黙殺し、「調書」によって有罪にしてしまいます。

では、検察官はどうやって調書を作るか。

取り調べの中で、暴行などが行われることはほとんどありません。ですので、ビデオを回していても、外形的には、穏やかに取り調べが行われているように見えます。

しかし、ビデオでは見えない現実がいくつかあります。

もっとも大きな問題の一つは、検察官が被告人や証人らの取り調べをする前に、警察が取り調べ調書を作っていて、そのデータが事前に検察官にわたっている、ということです。

ですから、検察官が被告人を取り調べる前に、検察官のパソコンの中では、すでに被告人の調書がほぼ、完成している、ということはよくあることです。

端的に言えば、「被告人を誘導をして調書を作る」のですらなく、「すでに出来ている調書に、被告人を誘導する」のです。

ポイントとなる点をうまく「確認」し、調書にサインさえさせてしまえば、調書は完成です。

自分が作った筋道に、相手を引っ張り込む。
これが検察官の取り調べでは常態化していると言って過言ではありません。その結果「効率の良い取り調べ」が可能となり、かつ、有罪判決を選るに十分な調書が短時間で量産されていくのです。

大阪地検特捜部の前田検事らの問題で「自分が作った筋道にこだわり、ひきこむ」ということがよく指摘されていますが、それは、検察の実務ではむしろ当たり前に行われている、と言って良いと思います。

■■そのほかにも問題があります。これは、いっそう深刻な問題です。

警察が作った証拠を用いて、検察官は有罪にしやすい内容に整えていく(調書について言えば、書き換えていく)。これが検察官の役割だとすれば、裁判所は、証拠に問題があっても有罪のために都合のいい解釈をし、なんとしても有罪にしていく、という役割を果たしています。

私が最近経験した事件では、一警察官が作成したエクセルの表(ある女性の携帯電話のメールの内容を、警察官が携帯を見ながら、手書きでエクセルに打ち込んで作ったもの。携帯のデータも警察のパソコンに取り込んだが、その後消去してしまって存在しない、として未提出)を、刑事訴訟法321条3項の「検証調書」に準ずるとして採用し、有罪にした事件があります(名古屋地裁)。

重要なデータを消去してない、として出していないだけでも怪しいのですが、警察官がエクセルの表を作っていく過程で虚偽の情報を盛り込むことは容易に可能です。
このような書面を有罪の証拠に採用することは、本来の刑事訴訟法の趣旨に明らかに反しています。

しかし、裁判官は、これを証拠として採用し、有罪、かつ実刑にしました。

警察の捜査を検察が補完し、検察が提出した証拠を、さらに裁判官が有罪のために補完する。

「警検裁一体」で、有罪を作り出すベルトコンベアをひたすら回している、と言わざるを得ません。

警察の捜査や検察の捜査全般がずさんとは思っていません。
多くの警察官、検察官が日々熱心に仕事をされていることはよくわかっております。

ただし、人が行うことですから、間違いを犯すこともある。ずさんな捜査、誤った捜査をしてしまうこともある。

違法な捜査があったときには、しっかり裁判官が捜査の問題点を指摘し、原則通り無罪にしていく、ということをする必要があります。

しかし、裁判官はこのことをずっと怠ってきました。

それが、ずさんな捜査、自分のストーリーに引き込む捜査を助長させてきたのではないでしょうか。

問われるべきは最高裁裁判官をはじめとする、裁判官だと言わざるを得ません。
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大阪地検特捜部のFD改ざん事件を契機に、取調の可視化の議論が進んでおり、冤罪をなくすための大きな前進だ。

しかし、冤罪の構造を考えた場合、他にも改善すべき点は多く残されている。

村木さんの事件では、検察官が強引に誘導して作った関係者の「供述調書」を裁判所が採用せず、無罪となった。

なぜ、検察官は誘導をしてまで供述調書の作成に力を注ぐのか。

それは、現在の刑事裁判では、供述調書さえ作ってしまえば有罪が保障されているからである。村木さんの事件での大阪地裁のように、検察が作った調書を裁判所が採用しないケースは実は極めて珍しいケースなのだ。

法廷で仮に被告人が「自分は本当はやっていない」と供述しても、「自白」をした「調書」があれば、刑事訴訟法322条で、「自己に不利な供述」として「自白調書」の方が有罪の証拠とされる。
また、証人が「本当は犯人は被告人ではない」と述べても、刑事訴訟法321条1項2号で「矛盾した供述をした」として「被告人が犯人だ」とする「供述調書」の方が有罪の証拠とされる。

結局、法廷で弁護人が反対尋問で成功すればするほど、検察官側に加点が積み重なり、有罪になってしまう。99.9%有罪、というのは、まさにそういう現実の結果なのだ。

しかも、裁判所は、警察、検察を「過信」し、違法な捜査があっても、また警察のねつ造の疑いなどがあっても、よほどのことがない限り、無罪にはしない。この裁判官の姿勢が、多少の違法をしても大丈夫、という気の緩みを捜査機関にもたらしてきた。大阪地検特捜部の元検事の証拠ねつ造事件はあまりにも明白であったために立件された一例に過ぎない。

僕が最近担当した事件は、一審で「警察官の証拠ねつ造の疑いがある」として無罪であったのに、高裁は「一般に警察が自ら手を染めてまで証拠のねつ造をする可能性はない」との理由で逆転有罪、実刑とした。なお、同じ日に、大阪地検特捜部元検事が証拠ねつ造の自白をしている。

では、それほどまでに無罪判決を裁判官が書かない理由は何か。

実は無罪判決の訓練は司法修習中全くない。
無罪判決の書き方を裁判官が知らないのだ。

ペンキ屋にたとえれば、黒いペンキを塗ることしか知らず、白いペンキなど持ったことすらない、というのが裁判所の実態なのである。

また、一審で無罪となった事件でも、高裁で逆転有罪となる割合は7割から8割と言われている。そのため、一審の裁判官は、無罪を出すことに躊躇をし、無難な有罪判決に逃げていく。そして、高裁が逆転有罪にした判決を最高裁は無罪にすることはほとんどない。

こういった状況があいまって、一旦起訴された以上、無罪判決が産み出される可能性はほとんどない、という実態が作られているのである。99.9%有罪の高い壁を検察官とともに作り上げ、検察官の調書偏重主義と時々生ずるずさんな捜査を増長させてきたのは、まさに裁判所である。
前田検事を産み出した責任は裁判所にもある。

この現実は、刑事司法が思考停止の機能不全を生じているといわざるを得ない。裁判員制度の下でも、残念ながら上記の問題点はほとんど改善されていない。

大阪地検特捜部の問題は裁判官の問題でもあり、かつ調書偏重主義や人質司法を是認する刑事訴訟法の問題でもある。

刑事司法全体を問い直す時期に来ている。
大阪地検特捜部の「特殊な問題」として矮小化してはならない。  
 
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