カテゴリ:震災( 8 )

「震災シンポ 避難所リーダーの役割」のお誘いです。

日時: 11月28日(金) 午後6時半~8時半
場所: 名古屋第一法律事務所(名古屋市中区丸の内2-18-22三博ビル)3階会議室
問合せ:052-211-2236(担当事務局 大場まで)
主催:名古屋第一法律事務所

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 震災から3年半が経ちました。

 この間も、各所で震災を振り返りがなされ、会社におけるBCPの役割や、震災時の行政の連携のあり方など、様々な点からの検証が行われてきました。防災の点での対策も見直されてきています。

 しかし、震災が生ずれば、まず私たち自身が、避難所で生活することを余儀なくされることは十分あり得ることですが(金メダリストの羽生くんも避難所生活を送ったのです)、私たちの生きる基盤となる、避難所運営については、残念ながら知見が進んでいるとは言い難い状況にあります。

 震災後、避難所では、集団生活を送っていく中で、日々様々な問題が生じてくることは必然です。震災直後と、一定期間を経過したときとでは直面する問題も異なります。

 地方議員のみなさん、地元商工会のみなさんなど、地域に根を張った方達は、いざ震災が生じたときには、地域の避難所において、必然的にリーダーとしての役割を求められる立場にあると思います。

 いざ震災が生じ、避難所の運営に携わる必要に迫られる場合に備えて、東日本大震災での知見を学んでおくことは、地域住民の命と暮らしを守っていくうえで極めて重要なことではないでしょうか。

 今回のシンポのゲストには、まさに、石巻の「湊小学校」(テレビなどメディアにも取り上げられていますのでご存じの方も少なくないと思います)の避難所で、現地対策本部長として、避難所運営に長期間携われた庄司慈明さんを石巻からお招きいたします。庄司さんに、避難所で運営の経験(失敗談も含め)大いに語っていただき、避難所運営の知見を皆さんとともに共有し、議論する機会にしていきたいと思っております。

 避難所リーダーとしての資質を身につけていただき、平時、非常時を問わず、地域のリーダーとしてますますご活躍いただきたいと思います。
 貴重な機会です。多くの皆さんにご参加いただきたいと思います。ご多忙とは思いますが、ぜひ、足をお運びいただければ幸いです。
    
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by kahajime | 2014-11-11 17:25 | 震災
 8月に、石巻、南三陸町などに行って参りました。

 石巻に行く途中の野蒜駅付近にも立ち寄ったのですが、以前あった半壊の家屋もほとんど取り壊され、そこに住宅地があった形跡も無くなっていました。
 そんな中にぽつんと廃墟となった中学校が遺されていました。
 道は大きくうねり、プールもゆがんだままでした。津波の威力を改めて実感させられました。
 人気の無い校舎の時計は、津波の時の時間で時計が止まったままでした。
 震災から1年経ったというのに、ここでは時間が止まったままのようでした。

 石巻では、これまで何度か物資を送ったり、また、直接訪れたこともある湊小学校に立ち寄りました。
 学校は一階が閉鎖されていて、立ち入ることが出来ないようになっていました。
 湊小学校の校舎の時計も、津波の時の時間で止まったままでした。
 

 校庭では、近所の子どもたちでしょうか。野球をして遊んでいました。
 子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見て、少し気持ちが温かくなりました。

 その後訪れた南三陸町は、以前と比べて、瓦礫の山が無くなり、更地が広がっていました。去年6月に初めて被災地に足を運んでから、すでに1年以上が経ちました。
 地域度と状況は異なりますが、自分たちの土地での再建が許されていない中で、町の再生はどこも十分進んでいないように感じます。
 その一方で、大きな堤防の計画ばかり進んでいるようです。

 南三陸町では、「南三陸さんさん商店街」に立ち寄りました。

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 そこには活気がありました。
 この商店街を起点に、新たな南三陸町が生まれてくることを密かに期待しています。

 そこで食べた三陸の海の幸は、本当においしく、是非、多くの皆さんに足を運んでもらって、食べてもらいたいと思いました。
 
 
 
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by kahajime | 2012-09-07 00:32 | 震災
「マガジン9」さんに連作を持たせていただいています。

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by kahajime | 2011-08-31 21:56 | 震災
石巻で泊まった翌日、南三陸町、気仙沼、陸前高田、大船渡にも足を運んだ。

南三陸町や陸前高田は、街全体が津波で奪われてしまった状況だった。多くの人命が奪われ、故郷が奪われたかと思うと、がれきの山が積み上げられていくだけの光景に、言葉も無かった。

 陸前高田の隣の大船渡市も、市街地は壊滅的な状況で放置されたまま、という印象を受けた。
 大船渡の市役所の職員の知人から、詳細な現状を伺うことが出来た。

 高台への移転を進めるには、平地の土地の買い取りが必要だが、政府から全く方針が打ち出されないままで、何も進んでいないこと、TPPに加え、漁業特区までやられては、被災地はさらに壊滅的打撃を受けるということなどを聞きました。印象的だったのは「これだけの大震災で、多くの人が命を落としても、国は全然本気になっていない。この国は一体どれだけ人が死ねば、本気になるのだろう」。
 「やっと3ヶ月です」。この言葉に、見通しも立たず、疲れ切った現地の人達の心境が伺えた。

 気仙沼では、夜食事をしながら「地獄だね」と津波の時のことを話す地元の方たちの話に言葉も無かった。

 仙台では、一番町法律事務所で、小野寺弁護士、渡部弁護士から法律家としての取り組みについて様々な話を伺った。
 とりわけ、「まちづくり」に弁護士が関わっていくことの重要性を痛感した。

 全体的に、被災地に人が圧倒的に少ない印象を受けた。ボランティアも少なく、また、がれき撤去などの作業をする作業員も細々とやっている、という感じで、確かに見た目でも「国を挙げた復旧作業」とはほど遠い。これでは、被災地に孤立感が蔓延するのは当然だ。

 深刻な現実を前に、法律家として出来ることについては、率直に言って明確な見通しはもてない。
 しかし、個人として、また一法律事務所として出来ることは限られているが、現地でがんばっている、つながりのある人を支援する、という形で、支援を続けていきたい。
 
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by kahajime | 2011-07-12 10:47 | 震災
6月末、被災地に足を運んできた。

愛知県弁護士会は、名古屋市が陸前高田を全面支援する、ということから、弁護士会としても、陸前高田を支援しようという方針をとることとなった。法律家としていかなる取り組みが出来るのか、率直に言って未知数であるが、まず現地に行ってこようということで、名古屋第一法律事務所の男性事務局員と僕の二人で石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡などに行ってきた。

仙台空港からレンタカーで松島、東松島を抜けて石巻へ。石巻は、全壊の地域の他に、半壊の住宅が多い地域がかなりあり、不安定な状況の中、2階で生活していると思われる家がかなりあった。全体的に、津波で押し流された車やがれきの撤去は進んだように見える。しかし、半壊状態の家については、この先どうしていって良いのか、途方に暮れているように思えた。

石巻では、湊小学校に立ち寄った。湊小学校は、5月に400足の長靴を送らせていただいたところだ。湊小学校でボランティアをしている「チーム神戸」の金田さんから、2時間半ほどじっくり話を伺うことが出来た。お邪魔してしまってすみません…。

湊小学校では、いまでも180人ほどの方が避難生活を続けておられ、学校周辺の半壊状態の家に住んでいる500人くらいの方々とつながっているとのこと。
ゴールデンウィークを過ぎ、ボランティアが激減したこと、自衛隊の食事支援が突如明日打ち切られることになり、今後の食事についてコンビニ弁当のようなものにしていかねばならないこと、避難所によっては未だに職には一日二食、菓子パンとおにぎり一個だけというところもあること、ハエが大量発生し始めており、今後の衛生にかなりの危機感を持っていることなど、40代の働き盛りの男性のアルコール依存が進んでいることなど、伺った。

また、仮設住宅が障害者対応になっておらず、障害を抱えたたちとって生活しにくいものになっていることなど伺った。

石巻の印象としては、被災した地域とそうで無い地域とで完全に街が分断されているという印象を受けた。被災した地域は、環境がどんどん劣悪化していくなかで、切り捨てられつつある、少なくとも被災した人達はそう実感しているということが痛いほどわかった。

翌日、日和見公園から、石巻を改めて一望し、根こそぎ街が奪われてしまっている街の姿を目に焼き付けた。

この街の人々が、再び立ち上がり、笑顔あふれる未来ある街に戻れることを、祈って石巻を後にした。

その後は、南三陸町に行った。山間の道を抜けると、突如がれきの山が目前に広がっていた。友人が4月に行ったときの映像を見せてもらっていたが、震災から100日経って、光景が何ら変わっていないことに正直愕然とした。

海沿いの街は、根こそぎ奪われていて、強いて言えば、がれきの山があちこちにあり、車で通る人達と、細々と活動するわずかな警察官たちしか、目に入らなかった。

戦後の復興時には、焼け野原にプレハブが建ち並び、という映像と比較し、この被災地のあまりにも静かな光景に言葉も無かった。

その後、気仙沼に入った。気仙沼には、僕が行く直前まで、埼玉の川越高校の同級生が3週間ほどボランティアで入っていたことも有り、事前にいろいろな話を聞いてはいたが、想像を超える状況だった。

気仙沼での話、陸前高田、大船渡での話は追って書かせていただきたい。
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by kahajime | 2011-07-07 22:56 | 震災
母子疎開支援ネットワーク「hahako」のブログをご覧下さい。

このネットワークは、「一人でも多くの赤ちゃんお母さん妊婦さんたちを安全な場所に!民間での受入れ情報、空き家や廃校、個人団体といません」として、情報を集約して下さっています。

是非ご覧戴きますようお願いします。

http://hinanshien.blog.shinobi.jp/
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by kahajime | 2011-05-11 22:39 | 震災
福島県内では、相馬、南相馬、いわき、福島、会津でイラク派兵違憲判決講演をさせていただいた。

南相馬は、原ノ町駅前のホテルで講演をし、夜は海沿いのホテルで宿泊をした。

野馬追いで有名な街ということで、ぶらぶらと歴史と自然を体感しながら散策した記憶が新しい。

今、その南相馬が、震災に加え、原発のことで本当に大変なことになっている。

しかし、そこに本当に多くのボランティアが入り、がれきの撤去などの作業をされている。

南相馬ボランティアセンターによれば、4月30日には500名を超える方が駆けつけている。

イラクボランティアの高遠菜穂子さんも、今、南相馬で汗を流している。

高遠さん含め、多くの皆さんに、こころから感謝したい。

http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
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by kahajime | 2011-05-02 22:02 | 震災
震災直後、大船渡や相馬、いわきの知人の安否確認に追われました。

幸い、皆無事だということがしばらくして分かりましたが、情報が断絶する中、心配をしていました。

大船渡の方は、市の職員の方で、今でも大変な毎日を送られています。

また、相馬やいわきの知人は、イラク訴訟の報告会に呼んでいただいた方々ですが、いずれも原発反対の運動にも関わっていた方々で、今回の原発の事故について、本当に悔しいと仰っていました。

イラク訴訟のスタッフで、神戸の震災ボラからずっと被災地支援の活動を続けていいる女性がいるのですが、彼女が4月初旬に被災地に行き、大船渡の僕の知人にも会ってきてくれました。

その彼女が4月18日夜に名古屋に戻ってこられた日に、二人で食事をしながら、現地の情報(映像など)をたくさん教えてもらいました。

伺った話は、自分の許容範囲を超え、本当に、どう受け止めて良いのか、困難だったというのが正直なところです。

いったい何が出来るのか、まったくつかめない、という状況でした。

僕は、神戸の震災の後に神戸に入っており、被災地障害者センターなどと関わりもあるのですが、今回の地震は、神戸とは全く又次元が違うものだ、ということはよく分かりました。神戸の物差しで見ていてはまったくだめだ、ということも理解しました。

その後、その彼女から、石巻の避難場所の湊小学校(神戸ボランティアグループ、「チーム神戸」が担当)から「長靴が足りない、10足20足では全く足りない、すぐにでも500足くらいほしい」という情報が入ってきました。

被災している方々が、街のがれきの撤去や、自宅あるいは自宅付近の片付けなどをするのに、長靴が必要だ、ということです。確かに、水がついてしまったところの作業には、長靴は不可欠です。

湊小学校自体に300人くらい避難生活をしているのに加え、周辺で半壊状態の自宅で生活している方が3000人から4000人くらいいるとのことでした。

そんななかで、支援物資で長靴があると取り合いになってしまうということも聞きました。

となると、少ない長靴を送るわけにはいかない。

そこで、4月23日(土曜日)、名古屋では著名な近藤産興さんの近藤社長に電話をし、「長靴を500足用意して欲しい」と依頼しました。頼めるのは近藤さんだけだ、という思いがありました。

近藤産興さんは「何でも貸します」というキャッチフレーズで大規模なレンタル業をされているのですが、イラクへの支援や、被災地支援などに積極的に関わってくれている得難い会社です。愛知県弁護士会の人権賞の候補にも挙がり、親しくさせていただいていました。

http://www.kondo-sanko.jp/index.html


近藤社長は、さっそく名古屋市内の長靴の問屋に電話をかけまくり、何と依頼した土曜日のうちに400足を確保してくださいました。

長靴は今品薄で、400足が限界とのことでしたが、品薄な中で、質の良い新品の長靴を400足も一気に確保していただいたことには本当に驚きと感謝で一杯でした。確かに、他のルートで、一定量の長靴は入手が出来ないことがはっきりしました。

近藤産興様、様々でした。

月曜日の朝9時半に近藤産興さんに伺うと、すでに400足が会社においてあり、若い社員の皆さんで発送作業をして下さっていました。

また、一人の若い社員の方は、会社から被災地に派遣されていたとのことで、「被災地の現状が一月経っても全く進んでいない。むしろ固定化されてしまっている」と危機的な現状を深刻に話されていました。

会社が被災地に社員を派遣し、支援に必要な情報を入手してどんどん支援物資を送り込んでいることに本当に驚きました。

近藤産興の社長はじめ皆さん、それからクロネコヤマトの宅急便の皆さんのおかげで、翌火曜日26日の午後2時には、石巻の湊小学校に届きました。

自転車とともに、大抽選会を行うということでした。

長靴代と、送料あわせて70万円強で、その費用について、イラク訴訟の弁護団の弁護士や、同じ事務所の数名がカンパをしてくれたおかげで、僕の負担は30万円程度ですみました。

多くの皆さんに感謝です。

これまで、義援金も結構送ってきました。でも、たとえ1000万円義援金を送っても、現地に届いていないのでは全く意味がありません。

わずか70万円でも、必要なものを必要なときに必要なだけ送る、ということで、そのお金の価値も生きてきます。

今後も現地と情報交換をしながら、出来る範囲でささやかなとりくみをしていきたいと思っています。
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by kahajime | 2011-05-01 23:29 | 震災