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遺言書の有効性が問題となるケースは、予想以上に多いです

先日も、亡き夫の自筆で書かれた遺言書を持ってこれらた女性が見えました。
遺言書を見ると、同じ一通に、夫の自筆で、妻が先に死んだときの相続についてまで書かれている部分があるなど、いくつも問題となる点がありました。

検認手続きを経た後、法務局がこの遺言書を有効と判断するか、大変心配でしたが、問題点を事前に整理し、該当判例を丁寧に提示する形で書面を作っていったため、何とか有効な遺言書として自宅の移転登記をしてもらうことが出来ました。

紙一重でした。

危うい遺言書では、残された者の負担は大変なものです。

遺言書は、何度も作り直すことも出来るので、健康なうちに弁護士に相談するなどしながら、法的に問題の無いものを作っておくことをお勧めします。

ちなみに、僕は30代ですが、自筆での遺言書を作っています。

未成年の子どもがいる場合、たとえば夫が亡くなると、法的には妻単独で預貯金の解約などが出来ません。未成年の子どもに、後見監督人が必要となり、手続きが大変複雑になります。

ですので、若い人でも遺言書は作っておくことをお勧めします。

ちなみみ、僕の遺言書の内容は、タイトルが「遺言書」、中身が、第1条として、「遺言者は、遺言者の有する不動産、預貯金、現金その他一切の財産を妻■子に相続させる」、第2条として、「本遺言書の遺言執行者として、妻■子を指名する。遺言執行者は、不動産登記、預貯金の名義変更、払い戻し、解約等遺言執行のために必要な一切の権限を有する」とし、作成日付と住所氏名を全て自筆で行い、捺印をしたものです。

僕には、実際には、相続させるようなたいした資産はありません。
でも、もしも、というときに、残された側の負担を出来るだけ軽くしておくことは思いやりだと思っています。
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by kahajime | 2011-07-13 23:59
石巻で泊まった翌日、南三陸町、気仙沼、陸前高田、大船渡にも足を運んだ。

南三陸町や陸前高田は、街全体が津波で奪われてしまった状況だった。多くの人命が奪われ、故郷が奪われたかと思うと、がれきの山が積み上げられていくだけの光景に、言葉も無かった。

 陸前高田の隣の大船渡市も、市街地は壊滅的な状況で放置されたまま、という印象を受けた。
 大船渡の市役所の職員の知人から、詳細な現状を伺うことが出来た。

 高台への移転を進めるには、平地の土地の買い取りが必要だが、政府から全く方針が打ち出されないままで、何も進んでいないこと、TPPに加え、漁業特区までやられては、被災地はさらに壊滅的打撃を受けるということなどを聞きました。印象的だったのは「これだけの大震災で、多くの人が命を落としても、国は全然本気になっていない。この国は一体どれだけ人が死ねば、本気になるのだろう」。
 「やっと3ヶ月です」。この言葉に、見通しも立たず、疲れ切った現地の人達の心境が伺えた。

 気仙沼では、夜食事をしながら「地獄だね」と津波の時のことを話す地元の方たちの話に言葉も無かった。

 仙台では、一番町法律事務所で、小野寺弁護士、渡部弁護士から法律家としての取り組みについて様々な話を伺った。
 とりわけ、「まちづくり」に弁護士が関わっていくことの重要性を痛感した。

 全体的に、被災地に人が圧倒的に少ない印象を受けた。ボランティアも少なく、また、がれき撤去などの作業をする作業員も細々とやっている、という感じで、確かに見た目でも「国を挙げた復旧作業」とはほど遠い。これでは、被災地に孤立感が蔓延するのは当然だ。

 深刻な現実を前に、法律家として出来ることについては、率直に言って明確な見通しはもてない。
 しかし、個人として、また一法律事務所として出来ることは限られているが、現地でがんばっている、つながりのある人を支援する、という形で、支援を続けていきたい。
 
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by kahajime | 2011-07-12 10:47 | 震災
子ども子育て新システムの中間報告が出ました。ここ数日、この間の「新システム」のワーキングチームの議論を改めて追ってみました(かなりの量で、特にもっともらしく作ってあるチャートや図の理解に時間がかかりました)。

加えて、保育雑誌のエデュカーレ7月号に載っていた厚労省の保育課長の回答なども読みました。

そこで感じたこと。

まず、保育課長は、「子ども手当のための財源を回せば、企業園に頼らずとも認可保育所は増やせるのでは」という質問に対してこう答えます。

子ども手当のことは軽く無視した上で、「国も財政難ですが、地方自治体の財政も厳しいものがあります。市町村にとっては、民間園の設備費への負担も厳しい状況なので、公立の保育園の新設はもっと厳しいと思います」

ようは、行政として直接設備投資をしていくなどの財源は無い、ということを言っていて、だから、新システムが必要だ、とつながっていきます。

でも、よく考えてみてください。

厳しい財政状況の中、待機児童解消のために、行政が保育園新設などにお金をかけることが出来ない。でも、「新システム」になったとしても、必要なお金がどこから湧いて出てくるわけではありません。

企業が参入したとしても、設備投資には同じだけお金がかかるはずです。もちろん、効率よく作るノウハウがあるのかもしれませんが、子どもが生活する場なのですから、当初からコスト削減ばかりに目が行くことは危険です。

結局、新システムにしたところで、待機児童解消のために質を確保しながら量を増やそうとすれば、お金がかかることに変わりはないはずです。

にもかかわらず、今回の中間報告でも、肝心なお金の部分については、「消費税増税論議の行方が不透明な中、改革全体で1兆円程度と見込まれる所要財源の確保が課題」とされています。

つまり、消費税増税が無い限りは、制度を作ってもお金はない、ということなのです。

これは、子どもを「だし」にして消費税を増税しようとしているのでは、と疑ってしまいます。

中間報告の骨子の一つでは、「改革に必要な財源に関する国と地方、事業主の負担割合、利用者負担の在り方などは今後検討」としています。

同時にお金の負担割合が全く決まっていないにもかかわらず、「2011年度中に関連法案提出、13年度施行を目指す」ともしています。

こんな無責任な制度設計があるでしょうか。

「新システムに移行すればバラ色」という漠然としたイメージを振りまいています。

しかし、とにかく、現在、行政に課されている「保育に対する責任」を外して、「利用者」と「こども園」の「契約関係」をベースとした「新システム」にとにかく移行したい、というのが厚労省の本音ではないでしょうか。この制度設計の本質は、まさに行政の第一次的な責任の放棄です。

そして、実際に「新システム」に移った時点で、多くの「子ども園」は「金が無い」とはしごを外される危険が極めて高い、というのが少なくとも現時点の実態です。

子どもたちの生活を不安定にする子ども子育て新システムには反対せざるを得ません。
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by kahajime | 2011-07-11 23:17 | 保育
中日・東京新聞の連載の最後です。とっても大事な記事だと思います。

ゼロ歳児急増 変わる保育園<下> 企業参入 競争か支え合いか
2011年6月9日

 一九九〇年代から急激に進められてきた保育の規制緩和。国は二〇〇〇年に認可保育園経営に企業参入を認めたが、全国の認可園約二万三千のうち企業経営はわずか0・7%(〇九年四月現在)にとどまる。

 企業進出が進まない原因を、埼玉県川口市や横浜市などで約八十カ所の認可園を経営する最大手、JPホールディングスの山口洋社長は「自治体の参入規制」と言い切る。企業経営では保育の質が保証されない、とするのが、参入を制限する自治体側の主張だ。

 同社は今年、株式市場から十三億円を調達し、十九園を新たに開園した。山口社長は「認可園経営を始めた〇五年以降の実績が評価された」と受け止める。

 自治体の財政危機で公立園が減り、社会福祉法人による新規設置が進まない中、待機児童解消策として企業参入に望みを持つ自治体がある。

 一方、懐疑的な保育関係者も多い。「運営費が全額公費なのに、利益として株主に配当するのは問題」「保育はもともと利益の出るものではない。人件費などを安くして、保育の質を下げている」といった批判だ。

 こうした声に、山口社長は「社内研修を積極的に実施し、モチベーションの高い保育士を養成している」「株主配当がないと資金調達が難しく、保育園を増やして待機児童を減らすのは困難」と反論する。

 「少子化で、経営力のない保育園はいずれつぶれる。社会福祉法人も企業も同じ土台で競争し、保護者が選択できるようにすべきだ」。国が一三年度の導入を予定している子ども・子育てに関する新しい制度の検討委員を務める山口社長は「競争による保育市場の活性化」を繰り返し唱える。

      ◇

 四月一日時点の保育所の待機児童数が、全国最多とみられている名古屋市。

 JR名古屋駅に近い認可保育園、けやきの木保育園が運営の柱に据えるのが、「支え合い」だ。市立保育園の民営化で、社会福祉法人が〇七年度に運営を受託した。

 「ちょっと待ってね」。指先に小さな切り傷を作って、ばんそうこうを貼るよう、せがんだ男児が保育士からこう言われ、フェンスにかじり付いて泣きわめいた-。

 園内で日常的にある風景。「少し待てば、ばんそうこうを貼ってもらえるという信頼感を大人に持てず、人格を否定されたように感じたんですね」。わがままな子と見られがちな園児にも、平松知子園長は温かなまなざしを注ぐ。

 子どもの気持ちにどう寄り添うか、どの保育士も悩む。同園では、子どもの反応を詳しく日誌に書き留め、どんな言葉掛けをすべきか、職員同士で助言し合う。時間をかけて繰り返してこそ、相手を思いやる気持ちや、友達への共感といった「子どもの心のひだひだ」を開いていけると、平松園長は考えている。

 同園が目指すのは、園内の子どもの生き生きとした姿を親に伝え、信頼関係を通して親子を丸ごとサポートする体制づくり。そんな人間同士のふれあいの中で、保育士も育っていくという。

 「保育は地域全体でつくっていくもの」と、近隣保育園との交流にも熱心だ。子どもにとって良い給食やおやつは何か、栄養士たちが研修会で一緒に学ぶなど、地域の保育園が知識や経験を交換し、支え合う。

 行政が担ってきた保育サービスを民間に委ねようとする国の新しい制度は、戦後続いてきた保育制度の大きな転換点となる。

 共働きの増加による低年齢児急増という現状の中、子どもの成長を保障するのは競争なのか、支え合いなのか。いずれの場合も、待機児童解消と保育の質維持の両立という綱渡りになることは間違いない。 (市川真)
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by kahajime | 2011-07-11 22:15 | 保育
中日新聞・東京新聞の連載の2回目です。驚くべき事実です。

ゼロ歳児急増 変わる保育園<中> 施設の1人当たり面積 解釈異なり地域で格差

2011年6月2日

 愛知県碧南市の認可保育園で昨年十月、おやつのカステラを食べていた栗並寛也ちゃん=当時(1つ)=が窒息死した。事故の背景の一つとみられるのは、ゼロ歳児の急増などに伴い、施設のスペースに対し、園児数が過密だったのではないかという点だ。

 児童福祉法では、園児受け入れに必要な保育園の基準として、園児一人当たりの面積=表、年齢別保育士数などを定めている。厚生労働省保育課によると「動きだした二歳未満の乳幼児には一人三・三平方メートルを確保するのが原則」だ。

 これに従えば、事故が起きた保育園で、ゼロ歳児と一歳児用の部屋として届けられていた六十一平方メートルで受け入れ可能な限度は、十八人まで(一人三・三平方メートルで計算)。二十六人が利用していた同園は、基準を超える園児数を受け入れていた可能性が高い。

 なぜ基準が守られなかったのか-。保育の実施機関である市や、監査権限を持つ愛知県が基準について、原則とは異なる解釈で運用していたためだ。

 二歳までの子どもは、寝ている状態から、ずりばい、ハイハイ、つかまり立ち、よちよち歩き、走る状態と状況が刻々と変わる。それなのに県も市も、一人三・三平方メートルの基準を使わず、ゼロ歳児、一歳児の全てに、必要な面積が最低限で済む「寝ている状態の子」の基準一人一・六五平方メートルが確保されていれば問題ないとしていた。市こども課は「本年度からは基準を下回らないよう、園児の受け入れ人数を調整したい」と話す。

 問題の根っこにあるのは、基準の文言の曖昧さに基づく自治体ごとの解釈の違いと格差だ。

 子どもの住環境に詳しい日本女子大の定行まり子教授が、基準の運用状況を全国で調べたところ、ゼロ歳児の一人当たりの面積を、一・六五平方メートルと三・三平方メートルを足し、上乗せ分と合わせて五平方メートルとするさいたま市のような例もあれば、愛知県のように最低の一・六五平方メートルとしている自治体も少数ながらあった。

     ◇

 低年齢児専門の認可保育所として、四十年以上の歴史がある東京都杉並区高円寺北の杉並さゆり保育園。ゼロ歳児一人当たりの面積は、都の基準に区独自の上乗せ分を加えた五平方メートル以上の確保が必要だ。定員いっぱいの十人のゼロ歳児が在籍する現在は、一人当たりの面積を基準ぎりぎりまで減らさなければならない。ベビーベッドを置くスペースが取れず、寝るときは柵で仕切って子ども用布団を敷いている。

 山吹京子園長は「寝ている子のすぐ隣で遊ぶ子がいたりして、五平方メートルでも、なんて狭いのかと思う。もっとスペースがあれば、睡眠が保障できると思うんですが」と困り顔だ。

 四月に成立した地域主権改革関連三法では、待機児童の多い自治体で、面積基準緩和が事実上可能になった。動きを先取りする東京都では都児童福祉審議会専門部会で、既に基準緩和の方向を打ち出している。

 基準が緩和されれば、私立保育園といえども、待機児童受け入れ要請は強まる。「これ以上受け入れが増えれば、子どもの育ちは確実に悪くなる」と、山吹園長は危ぶむ。

 二〇〇八年度の厚労省委託研究事業で、保育環境を調べた研究者や保育関係者など十一人の調査研究委員会は、子どもの発達や衛生面から考えて、食事の場と昼寝の場を分ける「食寝分離」が必要で、二歳未満児四・一一平方メートル、二歳以上児二・四三平方メートルを確保すべきだと結論付けた。

 委員長だった定行教授は「現場では、人が重要という認識が強く、環境は軽視されてきた。今回の調査結果は、面積基準をなくすという規制緩和の方向性に対して、一定の歯止めになるのではないか」と指摘する。 (市川真)

◆児童福祉施設の最低基準
◇1人当たりの最低面積

<0、1歳児室> 寝ている状態の子1.65平方メートル、動きだした子3.3平方メートル

<満2歳以上> 1.98平方メートル
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by kahajime | 2011-07-11 22:10 | 保育
去年、愛知県の碧南市の保育園で、一人の尊い命が失われました。私は、そのご両親とともに、その保育園にも行ったりなど、微力ながら関わらせていただいてきました。

5月末に、中日新聞、東京新聞に記事が載ったので、引用させていただきます。いかに、保育園の「最低基準」がずさんかがわかると思います。このまま、「子ども子育て新システム」などが導入されたら、子どもの命はもっと危険にさらされるのでは無いでしょうか。そう思わざるを得ません。

ゼロ歳児急増 変わる保育園<上> 保育園の窒息死事故 見守り手薄 おやつ喉に

2011年5月26日

 昨年十月、社会福祉法人が運営する愛知県碧南市の認可保育園で、栗並寛也ちゃん=当時(1つ)=がおやつのカステラを喉に詰まらせ、約四十日後、入院先の病院で亡くなった。事故は、寛也ちゃんと同じゼロ歳児(入園年度の四月一日時点で一歳に満たない子)が急増し、寛也ちゃんら四人が別室の一歳児部屋に移されて間もなく起きた。待機児童解消が重要な課題となる中、今回の事故は何を物語るのか。変わる保育事情と合わせ、三回にわたって報告する。 (市川真)

 「おやつを喉に詰まらせ、病院に運ばれた。すぐ行ってください」。保育園から電話を受けた母のえみさん(32)は車に飛び乗った。ハンドルを握りながら「救急隊員が心臓マッサージをした」という保育士の言葉が頭の中でよみがえった。「心臓が止まったってこと?」。締め付けられるような息苦しさを感じた。

 総合病院の救命救急センター待合室に着いてすぐ、ベッド脇に通された。が、いつもの元気な寛也ちゃんの姿はなかった。人工呼吸器を付け、半開きの目の焦点は合わないようだった。「お母さん来たよ」。手を握り、寛也ちゃんが好きな「カエルの歌」を歌った。涙で顔がぼやけた。

 数日後、医師からのつらい宣告が待っていた。「脳の深いところまでダメージを受け、回復の見込みは限りなく低い」。えみさんと夫の秀行さん(32)は仕事を休んで付きっきりで看病。心拍数が下がっても、えみさんがチューブにつながれた寛也ちゃんを抱っこすると再上昇した。「子どもとお母さんはつながっているんだ」と感じた。

 何度もヤマを越えたものの、十二月七日午前四時すぎ、寛也ちゃんはえみさんの胸に抱かれて息を引き取った。一歳五カ月だった。

     ◇

 「事故がなぜ起きたのか知りたい」。葬儀後、保育園に足を運んだ両親を驚かせたのは、ゼロ歳児部屋で保育されていたはずの寛也ちゃんが一歳児部屋で事故に遭ったことだった。両親は知らされていなかった。

 園長によると、昨年九月にはゼロ歳児は九人だったが、十月に四人が入園。ゼロ歳児部屋が「芋の子を洗う状態」となり、寛也ちゃんら四人を担当保育士一人とともに壁を隔てた隣の一歳児部屋に移した。「歩き始めたので広い部屋の方がいいと判断した」という。

 事故直前の状態も、両親の聞き取りで少しずつ分かった。昼寝から起きるのが一人だけ遅くなった寛也ちゃんは、担当保育士と机を囲み、おやつを食べ始めた。保育士は、他の園児の帰り支度などで立ち歩いたときもあり、保育園や市は「見守りが不十分で、立ち歩くときは、ほかの保育士と声を掛け合うなどすべきだった」としている。

 事故当時、寛也ちゃんがいた一歳児部屋と続き部屋の二歳児部屋には、園児計二十六人と保育士四人がいて、ごった返している状態だったという。

 おやつを喉に詰まらせたとき、保育士は寛也ちゃんの口の中に残っていたカステラを指でかき出した。まだ苦しがっていたため、同じ建物にある介護施設の看護師と、駆けつけた救急隊員が電動吸引器を使用。喉の奥からは、何も出てこなかったという。

 市は二月から、保育士から事情を聴くなど状況把握を始めた。適切な保育が行われていたのか専門家に意見も聴く方針。

 一方、両親は事故当時の状況で不明な点があるとして、公平な第三者委員会の設置と調査実施を求めている。「事故から半年たったが、事実解明が進まない。このままでは悲惨な事故を繰り返すのでは」と両親は危惧している。
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by kahajime | 2011-07-11 22:05 | 保育
子ども子育て新システム、一体何がやりたいのか一見わからない、という状況のまま、中間報告が出されました。12年中に法律を作り、13年に実行に移す、という拙速きわまりないスケジュールも明らかになりました。

何がやりたいか「一見わからない」、ですが、ちょっと凝視すると、やりたいことははっきり見えてきました。

3歳未満の保育が一番お金がかかるところです。そこを切り捨て、安価な「保育ママ」などを積極導入し、企業参入なども進め、建前としての「待機児童解消」をしていくこととが一つ。もう一つは、国や県などの、「子どもたちの命と健康を守る責任」を捨て、保育を市場で勝手にやってくれ、ということにつきます。

児童福祉から、保育を切り離す、ということもしていきます。

これが今回の中間報告や、発表された日に日弁連で霞ヶ関の担当者(村木さん)が話した話ではっきり見えてきました。

これからは、マスコミは「新システム」を「幼保一体化法案」として報道するミスリードをいい加減やめて、「行政の子どもの命健康を守る責任放棄」、という本質をしっかり伝えていってほしいと思います。

こちらも、ますます本気で動きを作っていかねばなりません。

対抗軸をしっかり打ち出しながら、大きな運動を作っていきましょう。
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by kahajime | 2011-07-07 23:10 | 保育
6月末、被災地に足を運んできた。

愛知県弁護士会は、名古屋市が陸前高田を全面支援する、ということから、弁護士会としても、陸前高田を支援しようという方針をとることとなった。法律家としていかなる取り組みが出来るのか、率直に言って未知数であるが、まず現地に行ってこようということで、名古屋第一法律事務所の男性事務局員と僕の二人で石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡などに行ってきた。

仙台空港からレンタカーで松島、東松島を抜けて石巻へ。石巻は、全壊の地域の他に、半壊の住宅が多い地域がかなりあり、不安定な状況の中、2階で生活していると思われる家がかなりあった。全体的に、津波で押し流された車やがれきの撤去は進んだように見える。しかし、半壊状態の家については、この先どうしていって良いのか、途方に暮れているように思えた。

石巻では、湊小学校に立ち寄った。湊小学校は、5月に400足の長靴を送らせていただいたところだ。湊小学校でボランティアをしている「チーム神戸」の金田さんから、2時間半ほどじっくり話を伺うことが出来た。お邪魔してしまってすみません…。

湊小学校では、いまでも180人ほどの方が避難生活を続けておられ、学校周辺の半壊状態の家に住んでいる500人くらいの方々とつながっているとのこと。
ゴールデンウィークを過ぎ、ボランティアが激減したこと、自衛隊の食事支援が突如明日打ち切られることになり、今後の食事についてコンビニ弁当のようなものにしていかねばならないこと、避難所によっては未だに職には一日二食、菓子パンとおにぎり一個だけというところもあること、ハエが大量発生し始めており、今後の衛生にかなりの危機感を持っていることなど、40代の働き盛りの男性のアルコール依存が進んでいることなど、伺った。

また、仮設住宅が障害者対応になっておらず、障害を抱えたたちとって生活しにくいものになっていることなど伺った。

石巻の印象としては、被災した地域とそうで無い地域とで完全に街が分断されているという印象を受けた。被災した地域は、環境がどんどん劣悪化していくなかで、切り捨てられつつある、少なくとも被災した人達はそう実感しているということが痛いほどわかった。

翌日、日和見公園から、石巻を改めて一望し、根こそぎ街が奪われてしまっている街の姿を目に焼き付けた。

この街の人々が、再び立ち上がり、笑顔あふれる未来ある街に戻れることを、祈って石巻を後にした。

その後は、南三陸町に行った。山間の道を抜けると、突如がれきの山が目前に広がっていた。友人が4月に行ったときの映像を見せてもらっていたが、震災から100日経って、光景が何ら変わっていないことに正直愕然とした。

海沿いの街は、根こそぎ奪われていて、強いて言えば、がれきの山があちこちにあり、車で通る人達と、細々と活動するわずかな警察官たちしか、目に入らなかった。

戦後の復興時には、焼け野原にプレハブが建ち並び、という映像と比較し、この被災地のあまりにも静かな光景に言葉も無かった。

その後、気仙沼に入った。気仙沼には、僕が行く直前まで、埼玉の川越高校の同級生が3週間ほどボランティアで入っていたことも有り、事前にいろいろな話を聞いてはいたが、想像を超える状況だった。

気仙沼での話、陸前高田、大船渡での話は追って書かせていただきたい。
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by kahajime | 2011-07-07 22:56 | 震災