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もう10年前の話。

スイスのジュネーブにあるILO本部と国連ヨーロッパ本部の人権高等弁務官に、日本の労働者の置かれた深刻な実態を伝え、日本政府に勧告を出すよう要請する目的で行った。

ジュネーブ以外にも、チューリッヒなどにも足を運んだ。
そして、チューリッヒで5月1日を迎え、メーデーが行われたので、せっかくだと思いメーデーに参加してみた。

チューリッヒはスイスの首都ではあるが、こじんまりした街で、落ち着いた街である。

しかし、メーデーの時だけは、どこからこんなに人が出てきたんだろう、と思うくらい、多くの人達がデモに参加し、町中を歩いていた。

日本のデモに比べ、色彩的には圧倒的に赤が多く、いろいろな訴えが書かれたプラカード(全く読めませんでしたが)の他、とりわけ真っ赤な旗に、チェゲバラの顔が黒でデザインされている旗を多くの人が抱えていた。
風船を持ったりなんて、穏やかぶりをあえてアピールする日本のメーデーとは全く異なり、見た目はずっとストレートで、労働者として訴えることを訴えるんだ、という気迫に満ちていた。

道いっぱいを赤い色彩のものすごい多くの人達が、堂々と流れていく姿は圧巻だった。そして、いつまで経っても、人の波が終わらない。

僕もデモに参加したが、僕が見た限り、警察の警備など全くといって良いほどなかった(当時撮った写真を見ても、警察の姿は全くない)。

僕がメーデーに参加して歩いたのは、古い街中の道で、もともと車の往来が激しい基幹道路ではなかった。だから、もしかしたら、車の行き来が多い道では、警察が交通整理などをしていたのかもしれない。

ただ、街の雰囲気としては、「デモで訴える人達は、当然の権利を行使している」と当たり前のこととして受け止めている感じで、警察にも「デモを管理する」などという認識はなかったと思う。

確かに、車の往来が多い道をデモ行進する際、警察の方々の交通整理は重要であり、デモをする人の安全も守りつつ、車の往来をできる限りスムーズにしようという配慮は必要だろう。

したがって、日本のデモについても、警察の対応は不必要だ、などとは全く思わない。

しかし、日本、とりわけ、最近の東京の「素人の乱」の方たちが企画するデモに対する警察の対応は、明らかに異常だ。デモに対する過度な、不当な対応がなされていると言わざるを得ない。

あたかも、街中では、原則として表現の自由がないかのような状況が作り出されてしまっている。

この間の逮捕の映像を見る限り、この程度のデモで、警察がこれだけの過剰な対応をする、というのは、国際的に見て、少なくとも民主主義国家と標榜する国家の中では、異常であると言わざるを得ない。

警察を指揮する側に、いろいろな意図があるのだろうが、東京の警察の対応は、どう見ても行き過ぎである。

それこそ、あまりにひどい場合には、国連のヨーロッパ本部の人権高等弁務官に会いに行って報告をしなければならない。恥ずかしいことであるので、避けたいところである。
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by kahajime | 2011-09-16 01:10 | 原発
昨日、新宿の脱原発デモで逮捕者がでたとの情報が昨日から入ってきています。

その後の詳しい状況がまだわからないので、何とも言えませんが、逮捕状況の映像を見る限り、弾圧して逮捕をする必要のあるデモであったとは全く考えれません。
挑発行為があったようにも思えません。

情報を整理した上で、改めて、不当逮捕であるとの抗議をしっかり出して行かねばと考えています。

今のところ、東京以外で逮捕者がでたという話はありません。

新宿で逮捕者がでたという情報に、過敏にならず、正確な情報を集めた上で、予定通りに表現行動に参加していただければと思います。

なお、あくまで現時点の個人的感想ですが、5月のデモで逮捕者が出たのも、同じ主催者のデモのようです。反原発のデモはたくさんありますが、警察の対応に明らかに温度差があります。どうも、この主催者関連のデモが狙い撃ちされているような気がしてなりません。
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by kahajime | 2011-09-12 18:14 | 原発
イラク戦争開戦時、ブッシュはあくまで「大量破壊兵器の疑い」を理由としていた。大量破壊兵器がなかったことがはっきりした後は、「民主主義の闘いだ」という建前にシフトした。

しかし、一言も「石油のため」との言葉は口にしなかった。

この言葉を発したら最後、政権は立ちゆかなくなることをブッシュは知っていたからだ。

石油利権のために戦争、ということが、本質であったとしても、アメリカの社会はこれを正面から許すほど、未成熟な社会ではない。

これに対して、日本はどうだったか。

イラク戦争を支持し、自衛隊派遣を決めていく際、堂々と「中東に石油を依存している日本」を前面に出し、「石油のためには致し方ない」ということを正面から国会で議論し、国民にも説明し、一定の国民はこれで納得していった。

これは、自分の生活のためには、他国の国民がいかに犠牲になろうとも、「仕方がない」という論理だ。

そこに、自分たちが加害者であるという自覚はない。この無自覚が、安易な思考と外交政策を助長している。

この論理が、日本では幅をきかせている。

確かに、イラクでどれだけ多くの市民が犠牲になっていったか、その実態を知らないが故に、安易に「石油のためには仕方がない」と単純に思い込んでしまったのかもしれない。

しかし、少しの想像力を持てば、自分たちの利権のために、人の命を犠牲にしていくことに胸が痛むはずである。ところが残念ながら、今の日本にはこの想像力すら足りない。まして加害者である自覚などみじんもない。

これは、他国に対して、ということだけではない。

沖縄に基地を押しつけ、その上で「日米安保の利益」だけは享受して当然、という発想が、沖縄以外の本土の国民には多くある。

自分の利益を守るために、他人を犠牲にしても「仕方がない」という発想だ。沖縄に犠牲を押しつける加害者であるという自覚もない。
これは、イラク戦争を支持していった思考と共通する。

そしてこれは、原発の件でも同じだということに気づく。

電力の大量消費という利益を受けるためには、原発で犠牲になる人達がいても「仕方がない」という発想だ。

今、原発を推進・維持しようとしている人達は、こういった思考に近いように思える。

さらに、今、原発反対を訴えている人達も、被害者意識が強いことに、僕は若干の違和感を覚える。
僕たちは、これまで電力の消費という利益を受け、被害を福島に押しつけてきた加害者なのではないか。

自分も原発の被害者であると同時に、加害者でもある、という自覚を持つことなくして、福島の市民の被害回復には繋がらないし、原発廃止に向かう本気の力にはならないのではないだろうか。

被害者意識だけでなく、自分たちの加害性も自覚した、反原発運動への発展が必要ではないか、と思う今日この頃である。

ただ、反原発の声をますます上げていく、ということが重要だと言うことには異論はない。被害者としての訴えを自粛しろ、というつもりもないので、誤解をしていただきたくない。
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by kahajime | 2011-09-11 23:37 | イラク
9.11から10年が経った。

この10年の「テロとの戦い」で、どれだけ多くの罪のない市民の命が奪われただろう。
どれだけ多くの家族が悲しみに暮れただろう。
どれだけ多くの憎しみと絶望が生まれただろう。

イラク戦争が誤っていたことははっきりした。
ビンラディンが殺されたことで、本当に9.11がビンラディンが仕組んだことなのか、という真実さえ、葬り去られた。

「犯罪」には「刑罰を」が市民社会の原則だ。
「テロ」は重大な犯罪だが、あくまで犯罪だ。
だから、「戦争」でも、「殺害」でもなく、身柄を拘束し、法廷にかけ、真実を解明する努力を経た上で、刑罰を科す、ということが、市民社会の原則のはずだ。

その市民社会の原則が、この10年で完全に崩れ去った。

犯罪者を殺すため、他国の主権を侵害して、大規模な「掃討作戦」を行い、多くの罪なき市民の命を奪った。

この10年で、数十万人の犠牲の上に、私たちは何を得たのだろうか。
失ったものばかりではなかったか。

せめて、この10年の過ちを二度と繰り返さないという教訓だけは、しっかり学び取りたい。

そのために、オランダやイギリスは、イラク戦争の検証を行った。

アメリカの戦争に思考停止のまま付き従い、イラクに自衛隊を派兵した私たち日本人も、イラク戦争を検証する責任がある。

私たちの責任を果たしていくべき時だ。

思考停止と、人ごととのような傍観を、いいかげんやめていきたい。
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by kahajime | 2011-09-11 23:09 | イラク