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 2013年8月30日午後、自衛隊イラク派兵差止訴訟名古屋弁護団、元・自衛隊イラク派兵差止訴訟の会有志として、「シリア軍事介入を止めさせ、憲法にもとづいた非軍事平和外交を」と題する緊急要請書を安倍晋三内閣総理大臣、岸田文雄外務大臣、小野寺五典防衛大臣宛てに執行しました。

 以下、要請書の文面を転載します。

 オバマ米政権は、8月21日に起きたとされる大規模な化学兵器攻撃をアサド政権の行為だと明言し、国連安保理決議を得なくても軍事介入に踏み切る姿勢を鮮明にしました。同盟国(英国、フランス)と連携して、洋上から巡航ミサイル攻撃を中心に数日間の軍事攻撃という懲罰を目的とした限定的軍事行動に踏み切る可能性を示唆しています(8月28日、米PBSテレビ・インタビュー)。

 日本は、近年、2001年10月からの米国の対テロ戦争(アフガニスタンへの軍事攻撃)や2003年3月からのイラク戦争など、米国が過去に繰り返してきた武力行使に対して同盟国としての支持と理解を表明してきています。

 イラク戦争では、日本政府は何ら検証・検討することなく、ブッシュ米大統領の最後通告演説のわずか3時間後に小泉首相は支持を表明しました。その後数ヵ月経って、イラク戦争開戦の根拠として挙げた「大量兵器の存在」および「フセイン政権とアルカイダの関係」という二つの“正当性”がいずれも虚偽の情報に基づくものであったことは周知のとおりです。 

 そして、アフガニスタンとイラクへの武力行使は、いずれも数多くの民間人の犠牲と破壊と混乱をもたらし、国内避難民と国外への避難民を増加させ、新たな憎悪と更なる対立・紛争へ繋がっている事実を重く受け止めなければいけません。
 

 化学兵器の使用は非人道的行為であり、決して許されるものではありません。
 化学兵器の使用をシリア政府が行ったとすれば、国際的に厳しく非難されるべきことは明らかです。

 しかし、化学兵器使用を止めさせる、という名目で武力行使を行えば、シリアはイラク戦争の二の舞になってしまいかねません。
 国際紛争を解決する手段として武力に訴えることを明確に禁じ、永久に放棄した平和憲法を持つ国として為すべき役割と責任は、米国の軍事介入/武力行使を支持・支援することでは決してありません。

 平和憲法を持つ国の首相として、憲法にもとづく非軍事平和外交に徹することです。
 これ以外に暴力の連鎖、民間人の犠牲を生み出す連鎖、新たな敵意と憎悪を生み出す連鎖を断ち切ることはできません。

 よって私たち「自衛隊イラク派兵差止訴訟」に取り組んだ元原告有志と名古屋弁護団として、日本政府に対し、以下のことを要請します。

1.オバマ米大統領・キャメロン英首相・オランド仏大統領に対し、シリアへの軍事介入を止めさせること

2.8月31日にシリアを出国する国連調査団の報告を受け、調査継続が必要であれば第二次、第三次調査団を派遣し、事実調査を徹底して行うよう提唱すること

3.正確な事実調査内容に基づき、国連を中心として「非軍事」による問題解決策を講じるよう提唱し、積極的役割を担うこと

4.隣国レバノン、ヨルダンならびにイラクへ逃れている多くのシリア市民への緊急人道支援を速やかに講ずること

以上
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by kahajime | 2013-08-30 22:43 | イラク
第3 内閣法制局の憲法解釈権に対する批判
 1 内閣法制局に対する様々な批判
 内閣法制局の憲法解釈に対しては、様々な批判がされてきた。
 とくに、内閣法制局の憲法解釈を否定しようとする立場から、内閣法制局の憲法解釈権自体を問題視する発言が強く出されている。
 そこで、内閣法制局の憲法解釈権に対する批判的発言について、個別に検証を試みたい。

 2 「三権分立に反する」という批判
 (1)1つは、「憲法に対する最終的な判断権者は最高裁判所であり、行政機関の1つに過ぎない内閣法制局の憲法判断があたかも国の唯一の憲法判断のようにされているのは三権分立の観点からおかしい」という批判である。
 (2)確かに、憲法に対する最終的な判断権者は最高裁判所である。
 しかし、まず、内閣法制局の憲法解釈は、あくまで政治的意見であって法的拘束力を有しているわけではなく、その意味で、最高裁判所の最終的な憲法解釈権を何ら侵害しているものではない。現実に内閣法制局が審査した法令について、最高裁判所が法令違憲と判断したことはほとんどないが、それはあくまで結果論であり、内閣法制局が最高裁判所の憲法解釈権を侵害しているわけではない。
 (3)平成10年4月22日の衆議院行革特別委員会において、大森内閣法制局長官(当時)は、次のように答えている。

 「言うまでもなく、憲法解釈、これは最終的な憲法解釈権と申しますのは、憲法81条によりまして最高裁判所に帰属している。そのような意味において私どもは憲法解釈権を有しているというものではないことは、私どもも重々承知しているわけでございます。
 他方、政府内部におきましては、この憲法解釈、これはいろいろな立場で法律の運用にあたる者は、その前提として憲法問題が介在している場合には、憲法解釈をする必要があるわけです。
 したがいまして、第一時的には、この法律の運用にあたる各省庁におきましても憲法解釈を行っているわけでございますが、その憲法解釈について、各省においてはいろいろ疑義があるとか、あるいは各省庁間で解釈に差があるという場合には、現行の制度におきましては、法制局に持ち込まれまして、法制局における議論、検討を通じて、少なくとも政府内部においてはその方向で解釈が統一されていくということになっているわけでございます。」


 (4)大森氏が述べるように、内閣法制局は、法律を運用するにあたって直面する憲法解釈について、法の運用の一体性の観点から、政府内部で解釈の統一を図っていく、という役割を果たしているにすぎず、内閣法制局が、何ら最高裁の最終的な憲法解釈権を侵害しているわけではない。
 したがって、三権分立に反する、という批判は当たらないと考える。

 3 「官僚の権限の強大化を生んでいる」という批判
 (1)これと同じような批判として、次のようなものがある。
 「内閣法制局こそ、第一次違憲審査所なのである。こうして日本の官僚は司法の役割も含めて3権をほぼ手中に収めたのである。これが三権のなかで官僚が突出した最大の理由である」(五十嵐敬喜・小川明雄(1995年)「議会」岩波書店)などという批判がある。
 これは、「官僚機構が3権を実質独占している」という点が重視されており、官僚批判にウェートが置かれており、官僚批判の1つとも捉えることが出来る。

 (2)しかし、かかる批判は、「官僚の権限が強大だ」という批判ありきの傾向が強い。
 また、そもそも行政機構を「官僚」という形で大きく捉えすぎており、内閣法制局の機能について十分目を向けていない。
 内閣法制局は、上述したとおり、行政内部から「権力を憲法が縛る」という立憲主義を支える重要な役割を果たしており、憲法を超える法律が作られ、また、憲法違反の国家行為が行われないように、他の省庁を牽制する役割を果たしている。
 その意味では、「憲法の枠の中に押し込める」という意味で、むしろ官僚の力を限定させる機能を果たしているのであり、内閣法制局の存在が「官僚の権力拡大」をもたらしている、という批判はあたらない。

 4 「僭越」「違憲」「硬直的」等の批判
(1)また、「内閣法制局が内閣の憲法解釈を縛るなど僭越だ」(小沢一郎)、ひいては「法制局の役人の持つ権限こそが、まさに違憲」(櫻井よしこ)との批判まである。
 さらに、「硬直的」であるなどという批判もある。
(2)内閣法制局は、このような批判に常にさらされてきた。こういった批判に対しては、たとえば、平成13年6月6日の参議院憲法調査会において、坂田内閣法制局第一部長は次のように述べている。

  「内閣法制局が憲法解釈について内閣その他に意見を述べ、また国会において内閣の憲法解釈について求めに応じてご説明申し上げているというのは、このように内閣としての憲法解釈の統一を図り、行政府が憲法尊重擁護義務というのを間違いなく果たしていくことが出来るようにという観点からのものであるということをご理解いただきたいと思います」 

 また、元内閣法制局長官の高辻正巳氏は、「時の法令」(大蔵省印刷局・1972年、34頁~)において、次のように述べている。

 「内閣法制局の使命は、内閣が法律的な過誤をおかすことなく、その施策を円満に遂行することができるようにする、というその一点にある。そうである以上、同局の法律上の意見の開陳は、法律的良心により是なりと信ずるところにしたがってすべきであって、時の内閣の政策的意図に盲従し、何が政府にとって好都合であるかという利害の見地に立ってその場をしのぐというような無節操な態度をすべきではない。そうであってこそ、内閣法制局に対する内閣の信任の基礎があり、その意見の権威が保たれるというものであろう。」
  
  

 さらに、
 「法解釈は客観的に一義的に正しく確定されるべきもので、行政府がこれをみだりに変更することなどありえない」(1975年2月7日の衆議院予算委員会における吉国一郎内閣法制局長官)。

(3)上記のいずれの発言からも、内閣法制局は、「立憲主義の枠の中で、きっちりと行政権行使を行っていく」という緊張感を持っていることがわかる。「憲法解釈は一義的に正しく確定されるもの」とあえて述べるのも、憲法解釈の幅があることを原則としては、立憲主義の縛りが利かなくなるからであると思われる。
 また、政府が変わるたびに憲法解釈が変わるようでは、憲法が権力を縛るという立憲主義が著しく後退することは明らかである。さらに、憲法を頂点とする法体系全体の整合性も図れなくなり、法治国家としての基礎が崩されかねない。
 したがって、立憲主義の観点や法治国家としての法体系の整合性の確保の必要性からすれば、内閣法制局の上記各発言は至極当然のことであるといえる。
 仮に、「内閣法制局は僭越だ」とか、「硬直的だ」などと権力を握っている政治家が感ずるとすれば、それは、憲法による権力の縛りが、内閣法制局を通してしっかりと機能している証拠であり、むしろ望ましいことであると言える。
   
第4 従来の内閣法制局の「解釈」を否定することの問題点
 1 集団的自衛権についての内閣法制局の憲法解釈
 内閣法制局は、憲法九条は集団的自衛権の行使を認めていないとの解釈を一貫して取っている。
 すなわち、内閣法制局は、「憲法が容認するものは、その国土を守るための最小限度の行為だ。したがって、国土を守るというためには、集団的自衛の行動というふうなものは当然許しておるところではない」(1972年9月14日参議院決算委員会における吉国一郎内閣法制局長官答弁)などとし、憲法九条は集団的自衛権の行使を認めていない、という憲法解釈を一貫して取ってきた。

 2 国家安全保障基本法について
 これに対して、自民党が2012年7月に党内の機関決定を経た「国家安全保障基本法」は、10条において、「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態である」ときに「自衛権行使」可能としており、集団的自衛権行使を正面から認める内容となっている。
 その他、8条2項で、「自衛隊は、国際の法規及び確立された国際慣例に則り、厳格な文民統制の下に行動する」とされており、憲法が禁止する交戦権を容認するとも読める。
 石破茂氏は、国家安全保障基本法の制定について、評論家の宇野常寛氏との対談本「こんな日本をつくりたい」(太田出版/2012年9月発行)で、次のように述べている。

 「憲法は改正しなければならないと私は言っているわけですが、しかし、憲法が改正されるまで、集団的自衛権は行使できない、というままで放置しておいて良いとも思えません。これまでも自衛隊の運用や集団的自衛権については、すべて政治のニーズで解釈をしてきました。状況が変われば政治判断も変わる。判断が変われば解釈も変わる。これは当たり前のことです。」 
 「ですから、今年(2012年)自民党は、『集団的自衛権の行使を可能とする』ことを盛り込んだ、『国家安全保障基本法案』の概要を党として機関決定したわけです。」
 「『内閣法制局の打ち立てた憲法解釈は、内閣が替わったからと言って変更できるものではない』というのが法制局の立場ですが、だからこそ内閣提出法案ではなく、議員立法でこれを乗り越えるべきだと思います。」
 
  
 以上のように、自民党は、国家安全保障基本法について、内閣法制局の事前審査を回避し、議員立法で制定した上で、内閣法制局の憲法解釈を否定するやりかたをこの1年の間、模索してきた。
 
 さらに、最近、安倍政権は、議員立法という「迂遠」な道を経ることなく、内閣法制局長官を交代させ、内閣法制局の見解自体を直接変えさせようとしている。
 内閣法制局長官を変え、従来の9条に関する内閣法制局の見解を根本的に変えさせ、その上で、集団的自衛権行使を認める国家安全保障基本法を内閣法制局を通じて国会に提出し、与党の数の力で法案を可決しようとしている。
 
 このようなことが果たして許されるのかについて、これまで見てきた内閣法制局の機能から、以下検討する。

3 内閣法制局の従来の解釈を否定する内閣による「解釈変更」
(1)法体系の整合性が崩れる危険性
 内閣法制局の憲法解釈は、緻密な論理の積み重ねであり、その上に事実が積み重なって、憲法を頂点とする我が国の法体系全体の整合性がとれてきた。
 しかし、内閣法制局のこれまでの憲法解釈を正面から否定する「解釈」をということは、内閣法制局による憲法解釈の論理の積み重ねを否定するものであり、憲法を頂点とする法体系全体の整合性を崩す可能性がある。

(2)「法治国家の要」の否定
 大森内閣法制局長官は、既述のように、「法律問題に関し意見を述べることを所掌事務として設置法に明記されていることに照らし考えますと、法制局の意見は、行政部あるいは政府部内においては専門的意見として最大限尊重されるものであることが制度上予定」(記述、大森氏答弁)されていると述べている。
 しかし、あえて内閣法制局の憲法解釈を否定する「解釈」を、首相の意を汲んだ新たな内閣法制局長官が主導で行うということは、「内閣法制局の意見を最大限尊重する」という現行制度を否定することになる。
 そもそも、前述したとおり、内閣法制局は、明治維新後、内閣制度が出来る以前から存在し、政府の国務の統一を確保するための重要な補助機関として、「法治国家の要」を担う役割を果たしてきた。
   
 現在も、「憲法を頂点とする法秩序の維持」を図る、ということが内閣法制局の使命であるところ、内閣法制局長官を変えることだけで、これまでの内閣法制局の解釈を変えることを許容すれば、内閣法制局による「憲法を頂点とする法秩序の維持」を図るという機能を否定しかねない。
 それは、明治維新後、日本が近代国家となって以降脈々と続いてきた、「法治国家の要」としての内閣法制局を否定することに等しい。

(3)政府の権威の失墜
  さらに、大森内閣法制局長官が述べるように、内閣法制局が、憲法解釈の変更に消極的な理由は、「政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある」という点にある。
 つまり、内閣法制局の憲法解釈の否定は、それまで積み重ねてきた行政府の憲法解釈を否定することであり、内閣による憲法解釈の権威を著しく失墜させ、それがひいては、内閣自身の権威と国民からの信頼を失うことにつながる、としている。
 内閣が、過去の内閣の憲法解釈から明らかに逸脱する憲法解釈を新たに取り、憲法解釈の「変更」を行う、ということは、従来の内閣法制局の見解から照らして違憲の見解を取る、ということを意味する。
 それは、内閣法制局による憲法解釈の積み重ねを否定することを意味するから、「政府の憲法解釈の権威自体を著しく失墜させる」という大森氏の懸念は的を射ている。
 また、政府自身が従来の「憲法」の枠を超える、ということは、「権力は憲法に拘束される」という立憲主義を否定するものとも言える。立憲主義を否定する内閣や与党は、ひいては国民からの信頼を失うことになろうという懸念もまさに的を射たものと言える。
 これまで積み重ねてきた内閣法制局の憲法解釈を明らかに逸脱する憲法解釈を政府が取る目的で、内閣法制局長官を交代させ、これまで許されなかった「憲法解釈」を行うということがあれば、大森氏が指摘するように、その結果、「政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させ、内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なう」ことになりかねない。

(4)立憲主義の否定
内閣法制局は、近代日本が歩み始めた明治維新直後から存在し、「法治国家の要」としての役割を担い、戦後、憲法を頂点とする法体系の整合性を確保し続けてきた。
同時に、戦後、立憲主義を行政府の内部から支えてきた。
とりわけ、裁判所が付随的違憲審査制を取り、統治行為論などをもって憲法判断を極力回避する司法消極主義を取ってきた中で、実質的に立憲主義を支えてきた内閣法制局の役割は極めて大きいものがある。
 
 既述のとおり、昭和54年12月11日の衆議院法務委員会において、味村内閣法制局第一部長が「憲法に反する政治を行うことは許されない」「私ども内閣法制局といたしましては、法律上の意見を内閣に申し上げるという立場から、違憲なことが行われることが絶対にないように、細心の注意を払ってご意見を申し上げておる」としており、こうした内閣法制局の姿勢が、我が国の近代立憲民主主義国家としての信頼を内外において高めてきた、といえる。
  この内閣法制局の憲法解釈を否定するために、首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことがあれば、憲法の権威と、憲法に基づく権力行使の正当性自体が失墜しかねず、我が国の立憲主義を否定することにつながりかねない。

 (5)小結
  以上のように首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことがあれば、法治国家の要として機能し、また、立憲主義を行政府の内部から支えてきた内閣法制局自体を否定するもので有り、その結果、憲法を頂点とする法体系の整合性が図れなくなり、また、立憲主義を否定しかねず、ひいては政府の権威や信頼を失う危険性があるなどの問題があると考える。

 
第5 結論
 内閣法制局の憲法解釈を否定するために、あえて首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことは、「憲法の枠の中で国家権力が行使される」という近代立憲主義を否定しかねない重大な問題であるということが認識される必要がある。

 内閣法制局も、憲法9条の価値を守ろうとして憲法解釈を守ろうとしているわけではない。
まさに、憲法を頂点とする法体系の整合性の確保と、立憲主義の実体的保障のために、内閣法制局の職責を全うしようとしているだけである。

首相が自らの意を汲む内閣法制局長官に交代させ、これまでの憲法解釈を安易に変更するようなことがあれば、「法治国家の要」としての内閣法制局を否定し、さらには我が国の近代立憲主義を否定することになりかねない。
 これは、考えようによっては、大げさかもしれないが、内閣法制局が出来た明治維新直後よりも日本は後退する、ということを意味するとも言える。
 立憲民主主義を本当に自分のものにするのか、あるいは近代立憲民主主義を放棄してしまうのか、我が国は大事な岐路に立たされているのではないだろうか。

    
【参考文献】

   ・「立法学講義(補遺)」大森政輔・鎌田薫編著
   ・「戦後政治にゆれた憲法九条 第3版」中村明著
   ・「内閣法制局による憲法解釈小論」間柴泰治・国立国会図書館レファレンス2008.2  
   ・「違憲審査制と内閣法制局」佐藤岩夫・東京大学社会科学研究所「社會科學研究」第56巻第5/6号, 2005.03
   ・「内閣法制局による法案審査過程」西川伸一・明治大学政経論叢第72巻第6号
   
 
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by kahajime | 2013-08-24 16:35 | 憲法
安倍政権は、集団的自衛権行使を認める国家安全保障基本法の制定に並々ならぬ意欲を燃やしています。しかし、集団的自衛権行使は憲法上認められないとする内閣法制局の存在が故に、当初、安倍政権は、議員立法によって内閣法制局の見解を変えてしまおうと考えてきました。
 しかし、最近、議員立法という「迂遠」な道を経ることなく、内閣法制局長官を交代させ、内閣法制局の見解自体を直接、根本から変えさせ、その上で、国家安全保障基本法を内閣法制局を通して国会に提出し、与党の数の力で法案を可決しようと考えています。
 このようなことが果たして許されるのかについて、以下検討します。
 長文となるので、2回に分けて、アップしていきます。

第1 内閣法制局の役割と権限
 1 内閣法制局の沿革と役割
(1)明治憲法制定以前から存在した内閣法制局
 まず、内閣法制局とはそもそもいかなる機関であるのか。その歴史から簡単に振り返る。この点については東京大学社会科学研究所の「社會科學研究」 第56巻 第5/6号, 2005.03の「違憲審査制と内閣法制局」(佐藤岩夫)を参照した。
 内閣法制局の歴史は古く、直接的には1885年(明治18年)の内閣制度の発足に伴い、「法制局官制」が制定され、内閣に法制局が設置されたことに始まる。ただし、それ以前にも若干の前史があり、1873年(明治6年)5月2日の太政官無号達太政官職制により、太政官正院に「法制課」が設置され、法制課は1875年に法制局に変更された。
 その後、1881年に太政官中に参事院が設けられ、法制局の法律規則に関する事務が参事院に引き継がれた。参事院は内閣が全国務の統一を確保するための補助機関というべきもので、フランスの国務院(コンセイユ・デタ)を範にとったもとのと言われている。参事院が法律命令の起草審査の他に、行政裁判も所掌していたのも、フランスの国務院にならったものである。
 1885年に発足した法制局は、基本的に参事院の権限を引き継いだ。
 1889年に大日本帝国憲法が制定されると、行政裁判所が創設されるなどしたため、1890年に新しい「法制局官制」が制定され、所掌事務を法令案の審査、立案、内閣総理大臣への意見具申などに整理し、さらに1893年に組織上の位置づけについて一定の修正が加えられた。それが第二次大戦時まで継続した。
 以上の沿革からすると、内閣法制局は、内閣の国務の統一を確保するための重要な補助機関として、明治維新直後から法治国家の根幹を担う役割を果たしてきたといえる。

(2)戦後の内閣法制局の廃止と復活
 第二次大戦後、現行日本国憲法によって裁判所に違憲立法審査権が付与された。その後、1948年2月15日には、GHQの指示によって法制局が廃止され、法制局は一時、内閣直属の地位を失った。
 しかし、1952年4月に平和条約が発効し、独立を回復すると、同年8月、内閣における法制の整備統一に関する機能を強化するため、法制局が4年半ぶりに復活し、再び内閣の下に置かれた(1952年法制局設置法)。
 同法律の3条により、内閣法局の任務が明示され、今日まで維持されている。
 すなわち「閣議に付される法律案、政令案、条例案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて内閣に上申すること」(3条1号)、「法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること」(同条2号)、「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣および各省大臣に対し意見を述べること」(同条3号)、「内外及び国際法制並びその運用に関する調査研究を行うこと」(同条4号)、「その他法制一般に関すること」(同条5号)である。
 その後、1962年7月に、名称が内閣法制局に改称され、現在に至っている。
 内閣法制局の復活は、内閣提出法案が主流となる中で、内閣の法制の整備統一の機能を強化するという必要性に伴うものである。

(3)内閣法制局の役割
 以上から、内閣法制局は、我が国が近代国家を歩み始め、法治国家たらんとした時点から存在したものであり、「法治国家の要」としての役割を担ってきたと言える。
 また、内閣の法制の整備統一を図り、法体系の一体性を確保してきた。
 さらに、後述するように、内閣法制局の憲法解釈を通じて、「権力の行使を憲法が縛る」という「立憲主義」を行政部の内部から担保する重要な役割を担ってきたといえる。
   
 2 内閣法制局の事前審査権限
(1)事前審査の内容
 内閣が提出する法案は、閣議に付される前に各省庁が立案したもの全てを内閣法制局で審査する。日本では、国会に提出される法案の過半を内閣提出法案が占め、また成立する法案の圧倒的多数は内閣提出法案であることから、この内閣提出法案の事前審査にあたる内閣法制局の役割は大きい。
 内閣法制局による法案の審査は、主務官庁の担当官と内閣法制局の審査担当参事官との間で、原案の説明、質疑応答、原案の修正、質疑応答といった一連の手続きが繰り返し行われる。内容的には、「憲法及び他の現行法制との関係並び立法内容の法的妥当性についての妥当性についての検討はもちろんのこと、立案の意図が、法文の上に正確に表されているか、条文の配列等の構成は適当であるか、用字・用語の誤りはないかというような点についても、法律的、技術的にあらゆる角度から検討をする。その対象となる範囲は、題名、目次から本則、罰則はもとより、法律案につける提案理由にまで及ぶ」ものとされている(内閣法制局百年史編集委員会編1985:222頁)。
 もっとも、審査は基本的に形式的な側面に重点があり、法案の目的の正当性や政策的妥当性などに及ぶものではない。
 しかし、「形式面に限定されるにしろ、一字一句の誤りも許さないとされるその厳格な審査は、内閣提出法案の立案過程において重要な役割を果たしている」(「違憲審査制と内閣法制局」佐藤岩夫)と評されている。

(2)比較法的に見た事前審査機能
  こうした事前審査の機能は、日本の内閣法制局だけの特殊性ではない。もともと、明治維新後に作られた法制局の前身である「参事院」は、フランスの国務院(コンセイユ・デタ)を範としている。フランスでも、成立する法案の大部分は議員立法提出案ではなく政府提出案をもとにしており、また、政府提出法案の内容がその根幹において議会で修正されることは稀であることから、国務院が法律制定において果たす役割は極めて大きい、とされている。
なお、フランスは、憲法裁判所である憲法院を設け、1974年に提訴権者が拡大されたことで、違憲審査が拡大し、1981年以降は提訴の半数以上が違憲の判決をもたらす、という状況が生まれており、その当否は別にして、裁判所が違憲審査に極めて消極的な我が国とはかなり事情が異なる。
 ドイツも、司法省が法案の事前審査機関としての機能を果たしている。ドイツも憲法裁判所が事後的に活発な違憲審査を行い、実際に少なからぬ法令が違憲の判断を受けている。
 しかし、フランスもドイツも、事前に憲法審査をする行政機構が存在し、それが法の一貫性を確保すると共に、立憲主義を支える1つの柱として機能している、ということができる。

第2 内閣法制局の憲法解釈権限
 1 内閣法制局の憲法解釈の根拠
 内閣法制局の権限は、上記のように内閣提出法案に対する事前審査を行うことにあるが、さらに内閣法制局には憲法解釈権限が委ねられている。
 しかし、内閣法制局に「憲法解釈権限」がある、という明確な規定があるわけではない。条文上は、各省庁において憲法解釈に疑義があった場合、あるいは、関係省庁間で憲法解釈に争いがあるような場合には、各省庁からの求めに応じ、内閣法制局が、内閣法制局設置法3条第1号及び第3号に基づき、各関係省庁からの意見を聴取し、法制局内における論議、検討を経た上で、当該憲法解釈についての意見を附す、あるいは意見を述べる、と定められているだけである。
 しかし、内閣法制局の憲法解釈についての意見は、行政府内の憲法解釈の統一を図ることを目的としてなされることから、内閣法制局の憲法解釈が結果として行政府内の統一した憲法解釈として最大限尊重され、内閣によって採用されている。
 その結果、「内閣法制局は、国民に対する権限を持っていないが、他の官庁に対しては、内閣法制局設置法第3条第3号の規定により、法律問題に関する意見具申権や、国の最高法規である憲法の最高有権解釈権者として事実上の権限を行使している」(中村明「戦後政治にゆれた憲法九条 第3版」32頁)と評されているのである。

 2 内閣法制局の憲法解釈の効果 
 この「意見」の効力について、井出嘉憲信州大教授(東大名誉教授・行政学)は、「意見に法的拘束力があるかといえば、明文で示されていない。しかし内閣法制局の意見が退けられ、他の意見が採用されることはない。つまり意見には法的拘束力の上位にある政治的拘束力がある。また憲法解釈についても、内閣法制局の見解が行政府の有権的解釈とする、ということが前提でこの仕組みが成立している」と説く。
 このように、内閣法制局の憲法解釈については、法的拘束力はないが、「法的拘束力の上位にある政治的拘束力」があるとされている。
 この点、平成8年4月24日の参議院予算委員会において、大森内閣法制局長官は次のように述べている。

 「憲法を含めまして法令の解釈というものは、最終的には最高裁判所の判例を通じて確定されることが現行憲法上予定されていることは御指摘のとおりであります。したがいまして、そのような意味で私どもの見解というものがいわゆる最高裁判所の判断のごとく拘束力を持っているものではないということは、もう指摘されるまでもなく重々承知しているわけでございます。

 ただ、やはり法律問題に関し意見を述べることを所掌事務として設置法に明記されていることに照らし考えますと、法制局の意見は、行政部あるいは政府部内においては専門的意見として最大限尊重されるものであることが制度上予定されているということは申し上げたいと思います。」



 大森氏が述べるように、内閣法制局の意見には法的拘束力はないものの、行政部内においては専門的意見として最大限尊重されることが制度上予定されているといえる。

 3 内閣法制局の憲法解釈の厳格性
 内閣法制局の憲法解釈は厳格であり、一貫しており、解釈の変更は原則として認めない、とされている。
 この点、昭和50年2月7日の衆議員予算委員会において、吉國内閣法制局長官は次のように答弁している。

「法律の解釈は、客観的に一義的に正しく確定せらるべきものでありまして、行政府がこれをみだりに変更することなどはあり得ないものでございます。」

 また、昭和53年4月3日の参議院予算委員会において、真田内閣法制局長官は、次のように答弁している。

「憲法をはじめ法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、それが法規範として持つ意味内容を論理的に追求し、確定することであるから、それぞれの解釈者にとって論理的に得られる正しい結論は当然一つしかなく、幾つかの結論の中からある政策に合致するものを選択して採用すればよいという性質のものでないことは明らかである。」 

 このように、複数の解釈が可能、という立場ではなく、論理的に1つしかない、という捉え方をしている。巨大な国家権力を行使してゆく行政府において、憲法適合性の判断に「ブレ」があっては立憲主義を否定しかねない、という緊張感から導き出される思考であると考えられる。

 4 憲法解釈の変更について
 憲法解釈について極めて厳密な立場を取る内閣法制局は、立憲主義を行政部内部から支えるという意味で極めて重要である。そこで、憲法解釈の変更についても極めて慎重な姿勢を取っている。この点に関し、平成8年2月27日衆議院予算委員会において、大森内閣法制局長官(当時)は次のように述べている。

○石井(一)委員「この際、御出席をいただきました大森内閣法制局長官に、個別的自衛権、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更はあり得るのか、このことについて御意見を伺いたいと存じます。」

○大森(政)政府委員 憲法解釈の変更はあり得るのかというお尋ねでございますが、憲法を初め法令の解釈と申しますのは、当該法令の規定の文言、趣旨に即しつつ、立案者の意図等も考慮いたしまして、また、議論の積み重ねのあるものについては、全体の整合性を保つことに留意いたしまして論理的に確定すべきものであるというふうに解しているところでございます。私どもも、今までいろいろな憲法問題につきましては、このような態度で対処してきたつもりでございます。
 そこで、政府の憲法解釈等についての見解でございますが、以上申し述べましたような考え方に基づきまして、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものと考えております。したがいまして、一般論として申しますと、政府がこのような考え方を離れて自由にこれを変更するということができるような性質のものではないというふうに考えております。
 したがいまして、政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある、という観点から見ましても問題があるというふうに考えているところでございます。


上記の大森内閣法制局長官の答弁から、内閣法制局が、憲法解釈を厳格に行い、その論理的一貫性を厳格に追求しているのは、政府の憲法解釈の権威を失墜させ、内閣自体に対する国民の信頼を損なう、という弊害をもたらさないこと、そして同時に、憲法を頂点とする法秩序の維持を図る、という目的のために行っているのであり、内閣法制局自体の権威のために行っているわけではないことが明確に示されている。

 5 内閣法制局の立憲主義を支える役割
 以上のように、内閣法制局は憲法解釈権をもって、憲法を頂点とする法秩序維持を図る重要な役割を担ってきた。
 このような内閣法制局の役割として、昭和54年12月11日、衆議院法務委員会において、味村内閣法制局第一部長(当時)は次のように述べている。

 「憲法に反する政治を行うことは許されないことは当然でございます。したがいまして、仮に内閣において何らかのことを決するという場合におきましては、私ども内閣法制局といたしましては、法律上の意見を内閣に申し上げるという立場から、違憲なことが行われることが絶対にないように、細心の注意を払ってご意見を申し上げておる次第でございまして、決して内閣は憲法に違反致しました行為をして良いということはないわけでございます」

 つまり、内閣において憲法違反が行われないように、細心の注意を払って意見をすることが、内閣法制局のつとめであるとしているのである。
 こうした内閣法制局の姿勢に対しては、「財務省が予算編成権を通じて各省庁を横断的に掌握しているのに対し、内閣法制局は政治部内での憲法の最高有権解釈権者として、『法の支配』を盾に、官僚や政治家が憲法や法律を逸脱しないようににらみを利かせている」(「戦後政治に揺れた憲法九条 第3版」47頁・中村明著)などと指摘されている。
  「にらみを利かせている」という指摘が適切かは別にして、内閣法制局は、憲法解釈権を通じて、我が国の「法の支配」、「立憲主義」、を行政府の中枢で支え、行政府が違憲行為をしないよう、立憲主義を行政内部から実質的に担保する、という重要な機能を担ってきたと言える。
    
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by kahajime | 2013-08-24 16:27 | 憲法