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被災地に行ってきました(1)

6月末、被災地に足を運んできた。

愛知県弁護士会は、名古屋市が陸前高田を全面支援する、ということから、弁護士会としても、陸前高田を支援しようという方針をとることとなった。法律家としていかなる取り組みが出来るのか、率直に言って未知数であるが、まず現地に行ってこようということで、名古屋第一法律事務所の男性事務局員と僕の二人で石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡などに行ってきた。

仙台空港からレンタカーで松島、東松島を抜けて石巻へ。石巻は、全壊の地域の他に、半壊の住宅が多い地域がかなりあり、不安定な状況の中、2階で生活していると思われる家がかなりあった。全体的に、津波で押し流された車やがれきの撤去は進んだように見える。しかし、半壊状態の家については、この先どうしていって良いのか、途方に暮れているように思えた。

石巻では、湊小学校に立ち寄った。湊小学校は、5月に400足の長靴を送らせていただいたところだ。湊小学校でボランティアをしている「チーム神戸」の金田さんから、2時間半ほどじっくり話を伺うことが出来た。お邪魔してしまってすみません…。

湊小学校では、いまでも180人ほどの方が避難生活を続けておられ、学校周辺の半壊状態の家に住んでいる500人くらいの方々とつながっているとのこと。
ゴールデンウィークを過ぎ、ボランティアが激減したこと、自衛隊の食事支援が突如明日打ち切られることになり、今後の食事についてコンビニ弁当のようなものにしていかねばならないこと、避難所によっては未だに職には一日二食、菓子パンとおにぎり一個だけというところもあること、ハエが大量発生し始めており、今後の衛生にかなりの危機感を持っていることなど、40代の働き盛りの男性のアルコール依存が進んでいることなど、伺った。

また、仮設住宅が障害者対応になっておらず、障害を抱えたたちとって生活しにくいものになっていることなど伺った。

石巻の印象としては、被災した地域とそうで無い地域とで完全に街が分断されているという印象を受けた。被災した地域は、環境がどんどん劣悪化していくなかで、切り捨てられつつある、少なくとも被災した人達はそう実感しているということが痛いほどわかった。

翌日、日和見公園から、石巻を改めて一望し、根こそぎ街が奪われてしまっている街の姿を目に焼き付けた。

この街の人々が、再び立ち上がり、笑顔あふれる未来ある街に戻れることを、祈って石巻を後にした。

その後は、南三陸町に行った。山間の道を抜けると、突如がれきの山が目前に広がっていた。友人が4月に行ったときの映像を見せてもらっていたが、震災から100日経って、光景が何ら変わっていないことに正直愕然とした。

海沿いの街は、根こそぎ奪われていて、強いて言えば、がれきの山があちこちにあり、車で通る人達と、細々と活動するわずかな警察官たちしか、目に入らなかった。

戦後の復興時には、焼け野原にプレハブが建ち並び、という映像と比較し、この被災地のあまりにも静かな光景に言葉も無かった。

その後、気仙沼に入った。気仙沼には、僕が行く直前まで、埼玉の川越高校の同級生が3週間ほどボランティアで入っていたことも有り、事前にいろいろな話を聞いてはいたが、想像を超える状況だった。

気仙沼での話、陸前高田、大船渡での話は追って書かせていただきたい。
by kahajime | 2011-07-07 22:56 | 震災