石巻、南三陸へ。
8月に、石巻、南三陸町などに行って参りました。
石巻に行く途中の野蒜駅付近にも立ち寄ったのですが、以前あった半壊の家屋もほとんど取り壊され、そこに住宅地があった形跡も無くなっていました。
そんな中にぽつんと廃墟となった中学校が遺されていました。
道は大きくうねり、プールもゆがんだままでした。津波の威力を改めて実感させられました。
人気の無い校舎の時計は、津波の時の時間で時計が止まったままでした。
震災から1年経ったというのに、ここでは時間が止まったままのようでした。
石巻では、これまで何度か物資を送ったり、また、直接訪れたこともある湊小学校に立ち寄りました。
学校は一階が閉鎖されていて、立ち入ることが出来ないようになっていました。
湊小学校の校舎の時計も、津波の時の時間で止まったままでした。
校庭では、近所の子どもたちでしょうか。野球をして遊んでいました。
子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見て、少し気持ちが温かくなりました。
その後訪れた南三陸町は、以前と比べて、瓦礫の山が無くなり、更地が広がっていました。去年6月に初めて被災地に足を運んでから、すでに1年以上が経ちました。
地域度と状況は異なりますが、自分たちの土地での再建が許されていない中で、町の再生はどこも十分進んでいないように感じます。
その一方で、大きな堤防の計画ばかり進んでいるようです。
南三陸町では、「南三陸さんさん商店街」に立ち寄りました。
そこには活気がありました。
この商店街を起点に、新たな南三陸町が生まれてくることを密かに期待しています。
そこで食べた三陸の海の幸は、本当においしく、是非、多くの皆さんに足を運んでもらって、食べてもらいたいと思いました。
石巻に行く途中の野蒜駅付近にも立ち寄ったのですが、以前あった半壊の家屋もほとんど取り壊され、そこに住宅地があった形跡も無くなっていました。
そんな中にぽつんと廃墟となった中学校が遺されていました。
道は大きくうねり、プールもゆがんだままでした。津波の威力を改めて実感させられました。
人気の無い校舎の時計は、津波の時の時間で時計が止まったままでした。
震災から1年経ったというのに、ここでは時間が止まったままのようでした。
石巻では、これまで何度か物資を送ったり、また、直接訪れたこともある湊小学校に立ち寄りました。
学校は一階が閉鎖されていて、立ち入ることが出来ないようになっていました。
湊小学校の校舎の時計も、津波の時の時間で止まったままでした。
校庭では、近所の子どもたちでしょうか。野球をして遊んでいました。
子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見て、少し気持ちが温かくなりました。
その後訪れた南三陸町は、以前と比べて、瓦礫の山が無くなり、更地が広がっていました。去年6月に初めて被災地に足を運んでから、すでに1年以上が経ちました。
地域度と状況は異なりますが、自分たちの土地での再建が許されていない中で、町の再生はどこも十分進んでいないように感じます。
その一方で、大きな堤防の計画ばかり進んでいるようです。
南三陸町では、「南三陸さんさん商店街」に立ち寄りました。
そこには活気がありました。
この商店街を起点に、新たな南三陸町が生まれてくることを密かに期待しています。
そこで食べた三陸の海の幸は、本当においしく、是非、多くの皆さんに足を運んでもらって、食べてもらいたいと思いました。
by kahajime
| 2012-09-07 00:32
| 震災