両親が亡くなってしまったり、行方不明になってしまったり、様々な事情で子どもの「親権者」がいなくなってしまうことがあります。そうなると、子どもの生活を見たり、子どもの財産をきちんと見る人がいなくなってしまいます。
 そういった時に家庭裁判所が「親代わり」の人を選びます。それが「未成年後見人」です。

 親権者がいない子どもの多くは、児童養護施設で生活をしていることが多いですが、施設は18歳で出なければならず、その後、20歳になるまでの支えはどうしても必要です。また、施設にいる間でも、親代わりとしての対応が必要なことはたくさんあります。

 未成年後見人は、子どもがトラブなどが起こったときだけではなく、生活全般のことや、進路のことなどに相談に乗りながら、子どもが成人するまで、長いスパンでサポートをしていきます。

 私はこれまで児童相談所などからの依頼で、未成年後見人をさせていただいてきました。

 思いがけないことがかなりの頻度で起こったりもして、子どもに振り回されることも少なくありませんが、「振り回されるもしごと」と思って向き合っています。
大変な面も多々ありますが、子どもに「すごいな」と思わされることも多くあります。

 1人ではもちろん限界があるので、児童養護施設や児童相談所の皆さんとも一緒に、多くのまなざしでひとりの子どもに真剣に向き合っています。「こんな見方もあるんだな」と学ぶことが多く、「子どもを見る目を豊かにする」ということはこういうことなのかな、と思ったりもしながら、みんなで目の前の子どもに向き合っています。

 弁護士の他の一般的な仕事に比べると、長いスパンで子どもの成長にじっくりかかわっていくので、人間力が問われる部分が多く、胆力も問われます。
 実の親ではないので、出来ることにも限界があり、距離感が難しい部分もあります。

 子どもを真ん中におきながら、児相や施設などのみんなで1人のこどもの成長にかかわっていくその道のりは、なかなか平坦ではありませんが、大事な仕事です。

子どもの力を信じて、ともに成長していきたいと思っています。
 


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名古屋第一法律事務所は今年、創立50年周年を迎えました。

「東海地方に自由と人権の砦を」と、若い弁護士たちが事務所を設立してから50年。
いまや所属弁護士は30人を超え、東海地方で最も大きい法律事務所となりました。

 私自身は、埼玉出身ですが、司法試験合格後、修習希望地の「第5希望」として適当に書いた名古屋に配属され、1年間の実務修習中に、当事務所の北村弁護士をはじめ多くの弁護士にお世話になりました。

 もともと地元の埼玉か東京で仕事をするものと考えていましたが、北村弁護士から「東京や大阪には、若手で人権活動を担う弁護士がたくさんいるけれど、この地域には圧倒的に足りない。どうしてもうちの事務所に来てほしい」と説得され、また、第一法律事務所の温かい雰囲気にも惹かれ、第一法律事務所にお世話になることになりました。

 事務所に入って2年目には、私がやりたいと言い出し、弁護団事務局長を担うこととなったイラク派兵差止訴訟を、事務所の所員の皆さんが支えてくれました。第一法律事務所の支えなくして、2008年の違憲判決は出なかったと思っています。
 思い切って名古屋に来て良かった、と思いました。


 事務所には、日々、離婚、相続、破産、交通事故など、困難に直面した多くの方が訪れます。私自身も、これまで多くの方との出会いがありました。時には長い時間を経ながらも、ともに問題を解決し、その方が笑顔でこの事務所から足を踏み出されていくときに、かかわらせて頂いて良かったとしみじみ思います。

 市民の皆さんが困難に直面したときに来て頂き、ともに困難を乗り越え、次の人生へと旅立っていくまでの「止まり木」のような法律事務所であり続けたいと思っています。


 第一法律事務所は、今後も、社会的に重要な大きな事件を担える事務所であり続けるとともに、市民の皆さんとともに、それぞれの困難を乗り越えていく法律事務所であり続けたい、私もその一員として、役割を果たしていきたいと思っています。

 名古屋第一法律事務所はこれまで多くの皆さんの支えがあっての50年でした。今後も多くの皆さんとともに、これからの50年を歩んでいきたいと思います。

 今後ともよろしくお願いいたします。


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# by kahajime | 2018-07-22 13:16

■子どもと保育園が僕を変えた
 2008年に「イラク派兵は違憲9条に違反する」という歴史的な違憲判決を名古屋高裁で獲得して一段落し、結婚7年目にして娘を授かったのが2009年のこと。2010年4月から保育園にお世話になりはじめ、2012年3月に生まれた息子がこの3月に卒園するまでのまる8年間、保育園には本当にお世話になりました。
 子どもが産まれるまでは、異常なまでの仕事人間で、子どももどっちかといえば、大の苦手でした。とくに小さい子どもは、どう関わったらいいか解らない。赤ちゃんなど、自分がだっこすれば間違いなく泣く、そう確信を持っていましたので、友人の結婚式などで赤ちゃんがだっこだっこで回ってきたときには、赤ちゃん来ないでくれ~と心の中で願っていたような人間でした。

 それが、自分に子どもが産まれ、子どもを通して保育園での関わりを経て、自分の子どもも、他の子どももみんなかわいい、と思う自分に次第に変わっていきました。
 保育園の送り迎えはもちろん、様々な保育園の行事にも積極的にかかわり、また、父ちゃん会などで同世代のお父さん達との交流を重ねていく中で、ぼく自身が少しずつ、変化していったように思います。

■保育園での「気付き」
 長いようであっという間だったこの8年間ですが、たくさんの楽しい思い出とともに、多くの「気付き」を得られた8年間でした。
 「気付き」の一つは、保育園では、0歳児であっても、その子の気持ちを探りながら保育をしている、ということでした。0歳児から個性があり、気持ちがあり、その背景もある。保育士さんたちは子どもを丸ごと受け止め、子どもから出発して保育をしていました。
 子どもの保育園の保育士さんに、子どもの意見を聞くって、どんなことか聞いてみたことがあります。保育士さんは、つぎのように話してくれました。
 「しゃべれなくても、声をかけるし、おさんぽいこうか、いく?どうする?と言語化して聞いていきます。おさんぽに行かない、というときには、『おさんぽいかないんだ』とは思いません。子どもが『お部屋で遊ぶ』ということを選び取る姿がある、というようにみるんですよ」
「子どもが一つ一つを選び取っている」。このように子どもたちを受け止めている保育士さんたちに、「すごいなぁ」と感動すると同時に、保育士さんたちのまなざしから、子どもたち一人ひとりを「かけがえのない存在」として尊重している、という人間観、子ども観をしっかり持っている、ということが分かり、保育の奥の深さを痛感しました。

■「個人の尊厳」でつながる保育と憲法
 ぼくはこれまで弁護士として、「憲法の一番の柱は、一人ひとりをかけがえのない存在として尊重する『個人の尊厳』です」と話してきました。
 『個人の尊厳」とは、平たく言えば、「あなたがあなたであるが故に素晴らしい」、ということを大切にによう、ということです。あなたらしさ、わたしらしさを大切にしよう、ということです。しかし、私自身どれだけ『個人の尊厳」をものにしていたのかといえば、とてもあやしいものでした。
 ところが、思いがけず、目の前の保育に触れていく中で、保育実践は、「個人の尊厳」を大切にする憲法実践そのものだ、と気付かされたのです。
 この「気付き」については、昨年、平松知子さんと一緒に書かせていただいた「保育と憲法」(大月書店)で書かせていただきましたので、お手にとっていただければ幸いです。
 また、ありのままの自分を受け止めてもらって育った子どもたちは、自分の気持ちも、友達の気持ちも大事にできるようになります。同時に自分の頭で考え、行動する力も培っていきます。豊かな保育実践は「個人の尊厳」とともに、「民主主義」の基盤を育む尊い営みなのだと思います。

■厳しさを増す保育環境
 ところが、保育をとりまく現実は厳しいものがあります。保育士1人で多くの子どもたちを保育する配置基準や、劣悪な保育士の処遇、さらに「安上がり」の保育政策が進められ、保育園の大規模化なども進んでいます。
 定員が500人を超える保育園、幼稚園も現実に増えています。
 大規模な保育園では、どうしても一人ひとりの個性を大切にする保育は難しくなり、「集団」としての保育が中心にならざるを得ません。
 「集団」のなかで「お利口」であることを求められて育った子どもたちは、大人が求めることには敏感に対応するのかもしれませんが、自分の気持ちをつかみ、表現していくということがどうしても弱くなるのではないでしょうか。
 保育の大規模化は、個人の尊厳とは離れた保育にならざるを得ないのではないか、と思わざるを得ません。
 また、鉄道の高架下の保育園も増えています。親にとって便利であることや、近隣から騒音の苦情がないことなどを売りにしていますが、そこには子どもを真ん中に置いた発想は見当たりません。子どもたちは自分が大切にされていると思って毎日を過ごせているでしょうか。自分も友だちも大切にする人に、育っていってくれるでしょうか。

■親たちの深刻な労働環境
 親たちが置かれている今の社会も大変です。
 正社員が減らされ、不安定雇用が拡大しています。社会の格差が拡大し、6人に1人が「貧困」と言われます。共働きをしなければ生活が出来ない家庭が増えています。
 保育園の需要が増え続けるのは、むしろ当然です。
 待機児童が増えているのは、社会全体の問題なのですから、社会全体で解決していかなければならない問題だと思います。
 しかし、現実には、待機児童解消の名の下に、お金をかけない安上がりの保育が一気に拡大し、とにかく詰め込めばいい、という政策がとられています。
 このような「詰め込み保育」政策の下で、子どもたち一人ひとりを大切にする保育など出来るはずがありません。子どもたちの安全も守られるか、とても心配です。
 保育士の処遇の改善も進んでいません。保育士不足が深刻とされる中で、抜本的な処遇改善が図られなければ、保育現場は回っていきません。
 保育士自身が「大切にされている」と感じながら働けなければ、保育園で子どもたちを大切にする保育など出来るはずもありません。
 保育士の専門性に見合った適切な処遇を実現していくことが急務です。

■壊される「保育の質」と保育に介入する国家
 加えて、一気に進んでいく「保育の無償化」も、世界的に「保育の無償化」は大きな潮流ですが、今日本で進められようとしている「無償化」は注意が必要です。
 認可外のいわゆるベビーホテルなどにもお金が出る、ということになったことは問題があるのではないかと思っています。
 最低基準を確保していない保育が拡大していったら、子どもたちの安全はどうなっていくのでしょうか。
 「儲け」を狙って多くの企業などが参入してくることになれば、「保育の質」は著しく後退します。利益を上げるために、人件費は最大限抑制するでしょうから、保育士の処遇もますます低下することでしょう。
 これまで積み重ねてきた保育の専門性自体も壊されてしまいかねません。
 もしかしたら、この国から「保育」が失われかねない、そんな危機感を抱いています。
 今まさに、「保育」は大きな瀬戸際に立たされている、と言わざるを得ません。
 さらに、この4月から施行された改正保育指針では、「国旗国歌に親しむ」ことが求められます。「国を愛する」という価値観を子どもたちに植え付け、子どもたちを社会の「駒」として育てていこうとしています。
 保育を巡る大きな流れが、「個人の尊厳」とは真逆の方向へと大きく進んでいることを、捉えておくことが必要だと思います。

■保育と憲法は岐路に立たされている。
 憲法改正の動きも加速しています。
 安倍首相の執念はかなりのものです。改憲については、決して諦めていないと思います。
 自民党の改憲草案には、『個人の尊厳」が削除され、ただの「人の尊厳」に変えられていることは注目すべきだと思います。
 一人ひとりを大切にする社会から、人を社会の駒として扱う社会へと転換しようとしている。それが自民党の国家観、人間観ではないか、と思います。
 安倍政権は、憲法9条の改憲を正面から行おうとしていますが、戦争はまさに、一人ひとりを大切にしない、人を社会の駒として扱うことそのものです。
 今、一人ひとりを大切にする社会を選ぶのか、子どもを、人を、社会の「駒」のように扱う社会を選ぶのか、が問われています。
 憲法を守り活かすことと、豊かな保育実践を積み重ねていくこととは、一人ひとりを大切にする社会を作っていく、ということで重なり合っています。まさに、保育実践は憲法実践なのだと思います。
 憲法も保育も岐路に立たされていますが、一番岐路に立たされているのは、子どもたちの未来そのものです。
 子どもたちの未来を守るためにこそ、豊かな保育実践を大切にし、憲法を守っていきたい、そう思っています。
 日々の保育実践の大切さをかみしめながら、目を社会に向け、子どもたちの未来のためにできる小さな保育運動と、小さな憲法運動を、ぜひ、職場から積み重ねていってほしい、そう思います。
 私自身も、弁護士として、また、子どもを持つ親として、子どもたちの未来のためにできることを、一つ一つ大事にしていきたいと思っています。


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# by kahajime | 2018-07-22 11:55 | 保育

2008年4月17日、名古屋高裁は、「イラクでの航空自衛隊の活動は憲法9条1項に違反する」という違憲判決を下しました。

違憲判決からこの4月でちょうど10年になります。

名古屋高裁は、イラク戦争の実態、自衛隊の活動の実態をきわめて正確に、詳細に事実認定しています。そして、名古屋高裁は、憲法9条の解釈について、政府見解(先の閣議決定前の政府見解)の立場にたった上で、航空自衛隊の空輸活動が憲法9条1項に違反すると判断しました。
同時に、平和的生存権について、「裁判で訴えることが出来る具体的権利である」ということも明確に示しました。この点も、きわめて大きな歴史的意義があります。

違憲判決が出た当初、政府は「傍論だ」などと、判決をことさら軽視する発言を繰り返しましたが、結局、年内には自衛隊をイラクから撤退させました。市民が憲法を使い、憲法の力を発揮させた成果だとも言われました。

イラク派兵違憲訴訟は全国11カ所で起こされましたが、名古屋高裁以外で違憲判決が出されたところはありませんでした。

しかし、裁判が終わった後も、各地の裁判の蓄積は承継されていきました。

北海道では、その後、佐藤博文弁護士を中心に自衛官の人権裁判が多数行われ、自衛隊員の人権に光をあてる取り組みが続いています。その積み重ねの上で、現職自衛官の母親が南スーダンへの自衛隊の派遣の差し止めを求める裁判が起こし、南スーダンからの自衛隊が撤退した現在も、裁判は続いています。

仙台では、イラク戦争に反対する市民を自衛隊の情報保全隊が監視する、という問題に対する裁判を起こし、情報保全隊の監視の実態に迫り、一部違法との判決を得るに至っています。

全国各地のイラク派兵違憲訴訟のたたかいの蓄積は、その後の憲法9条と平和的生存権を使った様々な裁判に承継されています。自衛官の人権を守り、また、自衛隊の活動を憲法9条の枠の中に押しとどめさせるために、違憲訴訟の蓄積は確かに活かされています。

この10年間も様々な場面で憲法9条を使ってきました。現在もなお、憲法9条を活かす闘いの途上である、とも言えます。

今、安倍政権は憲法改正を強引に進めようとしています。
自衛隊を明記する、ということですが、明記される自衛隊が、集団的自衛権行使を認める安保法制を前提とする自衛隊であれば、今後、名古屋高裁のようにイラクへの自衛隊派遣が憲法違反だというような司法判断が出る余地はなくなるでしょう。
まして、3月末の自民党党大会で一任された改正案では、自衛隊の海外での活動に対する憲法の歯止めがなくなってしまいかねません。

「自衛隊員がかわいそう」なとどいう情緒的な言葉で憲法改正を語るのではなく、憲法改正をすることによって自衛隊の活動がどう変質するのか、自衛官の人権はどうなっていくのか、具体的に検討していくことが必要です。

自衛隊の活動がどう変質するのか、具体的に検証するためにも、イラク派遣の実態を検証することは不可欠です。


「なかった」とされたのに、実は「あった」陸自の日報ですが、おそらくこれから開示までの間に墨塗作業が行われていくのでしょう。

しかし、航空自衛隊の週間空輸実績が、2009年には全面開示され、2万人以上の米兵を輸送していた事実を公にし、2008年の名古屋高裁の事実認定が正しかったことがはっきりしました。

イラクでの陸自の活動についても徹底した検証が必要です。

陸自の日報は、検証をしていく上で必要不可欠の資料ですから、墨塗にせず、すべての情報を国民に開示し、国民の下でイラクでの自衛隊の活動の実態を振り返り、検証を行うことを強く認めます。


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# by kahajime | 2018-04-04 13:19 | イラク
元内閣法制局長官や我が国を代表する憲法学者らが結集した国民安保法制懇(http://kokumin-anpo.com/)は、安倍政権が集団的自衛権を容認する閣議決定をしていこうとする2014年5月に設立され、2015年の国会での安保法制の審議の際にはメンバーの多くが国会に参考人として出席するなどしました。

国民安保法制懇には、憲法の番人である内閣法制局の元長官や、憲法学会の大家である樋口陽一先生をはじめ、これまでの改憲論をリードしてきた小林節教授など、様々な立場、考えの方が結集されていますが、現在も、集団的自衛権を容認する安保法制を前提とした安倍政権による憲法改正には反対する立場で一致し、会合を重ねております(私は設立当初からこれまでの3年半、事務局長役を担わせていただいております)。

憲法改正が具体的な政治日程に上ってきた中で、立憲民主党と国民安保法制懇との間で、一度懇談の場を持ちましょう、ということとなり、12月7日に立憲民主党と国民安保法制懇との懇談の場を持たせていただきました。

立憲民主党からは、枝野幸男代表、福山哲郎幹事長、長妻昭代表代行、近藤昭一副代表、辻元清美国対委員長、山花郁夫憲法審査会理事、同一会派として山尾志桜里先生にご出席いただきました。
国民安保法制懇からは、樋口陽一東大名誉教授、柳澤協二元内閣官房副長官補〔安全保障担当)、孫崎享元外務省国際情報局長、長谷部恭男早大教授、事務局長の川口創が出席させていただきました。
出席予定であった大森政輔元内閣法制局長官は急遽欠席となりました。

議員の先生方とこちらのメンバーの多くは、個別にはお互いつながりはありますが、直接、集団的に意見交換ができたことは、有益であったのではないかと思っております。


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# by kahajime | 2017-12-10 16:29 | 憲法



最近「保育と憲法」(大月書店)という本を出させていただきました。 これまで何冊か本を出させていただいてきましたが、この「保育と憲法」は、明らかに異色な本だと思っています。

この本は、名古屋の民間保育園の園長として、子どもたち、親たち、保育者たちに全力で向き合い、愛情いっぱいの保育を実践している平松知子さんと、弁護士であり、保育園に通う子どもを持つ親でもある川口との対談をまとめたものです。

僕は、これまで、憲法の講演などで、「憲法で一番大事なのは、『一人一人をかけがえのない存在として大事にしていこう』という『個人の尊厳』の思想です」と話してきました。憲法は13条で個人の尊重をうたい、これが憲法の一番の柱だと考えられています。

しかし、「個人の尊厳」と言葉で言うのは簡単ですが、実際にどれだけ自分のものとしてこれたか、あやしいものでした。

そんな僕が、我が子がお世話になっている保育園をはじめ、様々な場面で、子どもたちや保育士さん達から学んでいく中で、ある時気がついたのです。

「これが個人の尊厳、ということなんじゃないか。優れた保育の実践は、憲法実践なのではないか」ということに。「保育ってすごいな」そう実感した瞬間でした。

たとえば、保育園では、0歳児であっても、その子の気持ちに寄り添い、その気持ちを探っていきます。0歳児から個性があり、気持ちがあり、その背景もある。その子どものことを丸ごと受け止めながら、保育を実践しています。

僕の子どもの保育園では「子どもを見る目を豊かにする」をテーマにしていて、子どもの姿について「こんな見方もできるんじゃない?」とみんなで日常的に話しているそうです。決して正解がないからこそ、複数のまなざしで見つめ、子どもをより理解しようとする。子どもから学ぼうとする。目の前の子どもたちをたった一人のかけがえのない存在として尊重していることが伝わってきました。「個人の尊厳」を大切にする、まなざしを感じました。

ありのままの自分を受け止めてもらいながら育った子どもたちは、自己肯定観が育ち、自分も、友達も大事にできるようになります。同時に人の許可や判断を待つのではなく、自分の頭で考え、行動する力も培っていくことでしょう。こうした子どもたちが育っていくことが、人に優しい社会を作っていくこと、そしてこの社会に民主主義が育っていくことにもつながっていると思います。


しかし、現実には大人の用意した「枠」に当てはめる保育をしている保育園も少なくありません。また、現実の社会も、格差と貧困が拡大し、長時間労働の末に命を落とす人も後を絶ちません。「個人の尊厳」が根こそぎ奪われる時代です。

一人ひとりがかけがえのない存在として大切にされる社会を選ぶのか、人が社会の駒として扱われる社会に進むのか。

待機児童解消の名の下に、保育の量ばかりが追求され、保育の質が後回しにされています。また、来年には憲法改正の発議がなされる可能性も高いと思います。

今、保育も憲法も岐路に立っています。

こんな時代だからこそ、一人ひとりを大事にする保育園を守り、広げていくこと、そして保育実践から私たち大人も、人間観、「個人の尊厳」観を学んでいくことが、『個人の尊厳』をはぐくむ源流となるのではないか、と思っています。

超仕事人間だった私が、保育園を通じて大きく変わりました。

とりわけ男性から保育園は遠い存在かもしれませんが、ぜひ、保育園に関心を持っていただけたら、と思っています。



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# by kahajime | 2017-10-12 06:48 | 保育
新年明けましておめでとうございます。

息子の保育園の保育士さんから、「願い」という言葉を教えてもらいました。

保育者が子ども一人ひとり、あるいは集団として、どう成長していって欲しいか、という「願い」を持って保育する。「願い」があるから、日々の保育の中で悩むし、また、喜びもある。

 「ただ、子どもがかわいい」ということだけでなく、「願い」を持って子どもたちに向き合ってくれている、ということを知り、ありがたいと思いました。

同時に、親としての「願い」は何だろうか、と改めて考えてみました。

子どもが日々の育ちの中で、自分も友達も大事にする、それぞれの違いも尊重し合いながら、安心して、未来に希望を感じながら育っていってほしい。

同時に、そのためには、子どもたちが生きてゆくこれからの社会が、一人ひとりの尊い命や生き方が尊重される、平和な社会であって欲しい。

それが、私の、親としての「願い」です。

では、今の社会は、果たして、人間に優しいらしい、平和な社会だろうか。子どもたちに良い社会をリレーできているだろうか。

憲法に違反する安保関連法が一昨年作られました。

そして、アフリカの南スーダンという国に、自衛隊が送られています。

去年末には、安保法によって新しく加えられた『駆けつけ警護』『宿営地共同防護』という任務が、南スーダンの自衛隊の活動に加えられました。

南スーダンには幼い子ども、少年兵がたくさんいて、前線に子どもたちが送り出されている実態もあります。

新たな任務で、自衛隊の武力行使が認められれば、自衛隊が殺し殺される関係に立つ、しかも、殺す相手は子どもである可能性も十分あるのです。

「どの子どもも殺させない」

昨年11月30日、現職自衛官の母親が、PKO派遣を差し止める裁判を北海道で提訴しました。私も弁護団の一員として参加しています。 

今、私たちは、とても際どい分岐点に立っているのだと思います。
カジノ法案ができ、年金抑制法案も成立しました。

「子どもたちを大事に」と言いながら、教育施設の日照や環境を守る法律も条例もありません。

人の命を蔑ろにし、子どもたちの育ちを顧みない、金儲けを優先する政治が進んでいます。

どんな社会を目指すのか、人を大事にする政治に転換させていくのか。

その選択肢は、私たち市民が握っています。

子どもたちに、一人ひとりの尊い命や生き方が尊重される、平和な社会をつないでいきたい。

そんな「願い」を実現していくために、声を上げていく1年にしたいと思います。
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# by kahajime | 2017-01-08 08:16