カテゴリ:保育( 40 )

とても久しぶりにブログを更新します。申し訳ありません…。

名古屋の中区にある名古屋教会幼稚園の南側に15階建てのマンションが建設されており、その差し止めを求める仮処分を起こし、9月26日に決定が出ました。結論としては建設の差し止めは認められませんでしたが、判断の中で、私どもが訴えた「適切な保育環境を享受しながら発達する権利」を踏まえ「園庭において適切な環境を享受する権利」を認めており、画期的な部分があったので、以下、名古屋地方裁判所民事2部の決定文から大事な部分をピックアップします。

「幼稚園は、幼児を保育し、幼児の健やかな成長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする施設である(学校教育法22条)。学校教育法施行規則38条の規定を受けて定められた幼稚園教育要領(平成29年文部科学省告示第62号)には、幼児教育における留意事項として、心と体の健康は、相互に密接な関係があるものであることを踏まえ、十分に身体を動かす気持ちよさを体験し、自ら体を動かそうとする意欲が育つようにすること、様々な遊びの中で、体を動かす楽しさを味わい、自分の体を大切にしようとする気持ちが育つようにすること、自然の中で伸び伸びと体を動かして遊ぶことにより、体の諸機能の発達が促されることに留意し、幼児の興味や関心が戸外にも向くようにすることなどが明記されており(同要領第2章参照)、幼児が園庭において十分な活動を行うことは、その心身の健全な発達において重要なことといえる。

 債権者教会は、同様の考え方のもと、現に本件幼稚園における一日の活動の多くを外遊びに充てており、債権者在園児らにとって、本件幼稚園の園庭において日照などの適切な環境を享受する利益は、その心身の健全な発育へとつながる重要なものとして、法的保護に値するものと認めるのが相当である。

 そして、児童福祉法(平成28年法律第63号による改正後によるもの)に「全て国民は、児童が…社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」(2条)、「前2条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたって、常に尊重されなければならない」(3条)と明記されたことも踏まえると、本件において、債権者在園児らの上記利益の程度を考えるに当たっても、同法の趣旨を十分に考慮しなければならない。」

結論としては、マンションの建築を差し止める結論には至りませんでしたが、前提の判断で、子どもに「園庭において日照などの適切な環境を享受する利益がある」と認めたことは、確かな前進だと思います。

裁判で新しい権利を積み重ねていくことは、とても大切なことだと思っており、とりわけ、建前と異なって、現実には軽視されがちな「子どもの発達権」を前提に、「適切な環境を享受する権利」を認めたことは、保育環境の劣化が問題となっている中で、とても大事なことだと思います。

名古屋教会幼稚園については、本訴を提起しており、そこでさらにしっかりと、子どもの、適切な環境を享受して発達する権利の重要性を主張をしていくつもりです。


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by kahajime | 2018-11-29 17:38 | 保育

■子どもと保育園が僕を変えた
 2008年に「イラク派兵は違憲9条に違反する」という歴史的な違憲判決を名古屋高裁で獲得して一段落し、結婚7年目にして娘を授かったのが2009年のこと。2010年4月から保育園にお世話になりはじめ、2012年3月に生まれた息子がこの3月に卒園するまでのまる8年間、保育園には本当にお世話になりました。
 子どもが産まれるまでは、異常なまでの仕事人間で、子どももどっちかといえば、大の苦手でした。とくに小さい子どもは、どう関わったらいいか解らない。赤ちゃんなど、自分がだっこすれば間違いなく泣く、そう確信を持っていましたので、友人の結婚式などで赤ちゃんがだっこだっこで回ってきたときには、赤ちゃん来ないでくれ~と心の中で願っていたような人間でした。

 それが、自分に子どもが産まれ、子どもを通して保育園での関わりを経て、自分の子どもも、他の子どももみんなかわいい、と思う自分に次第に変わっていきました。
 保育園の送り迎えはもちろん、様々な保育園の行事にも積極的にかかわり、また、父ちゃん会などで同世代のお父さん達との交流を重ねていく中で、ぼく自身が少しずつ、変化していったように思います。

■保育園での「気付き」
 長いようであっという間だったこの8年間ですが、たくさんの楽しい思い出とともに、多くの「気付き」を得られた8年間でした。
 「気付き」の一つは、保育園では、0歳児であっても、その子の気持ちを探りながら保育をしている、ということでした。0歳児から個性があり、気持ちがあり、その背景もある。保育士さんたちは子どもを丸ごと受け止め、子どもから出発して保育をしていました。
 子どもの保育園の保育士さんに、子どもの意見を聞くって、どんなことか聞いてみたことがあります。保育士さんは、つぎのように話してくれました。
 「しゃべれなくても、声をかけるし、おさんぽいこうか、いく?どうする?と言語化して聞いていきます。おさんぽに行かない、というときには、『おさんぽいかないんだ』とは思いません。子どもが『お部屋で遊ぶ』ということを選び取る姿がある、というようにみるんですよ」
「子どもが一つ一つを選び取っている」。このように子どもたちを受け止めている保育士さんたちに、「すごいなぁ」と感動すると同時に、保育士さんたちのまなざしから、子どもたち一人ひとりを「かけがえのない存在」として尊重している、という人間観、子ども観をしっかり持っている、ということが分かり、保育の奥の深さを痛感しました。

■「個人の尊厳」でつながる保育と憲法
 ぼくはこれまで弁護士として、「憲法の一番の柱は、一人ひとりをかけがえのない存在として尊重する『個人の尊厳』です」と話してきました。
 『個人の尊厳」とは、平たく言えば、「あなたがあなたであるが故に素晴らしい」、ということを大切にによう、ということです。あなたらしさ、わたしらしさを大切にしよう、ということです。しかし、私自身どれだけ『個人の尊厳」をものにしていたのかといえば、とてもあやしいものでした。
 ところが、思いがけず、目の前の保育に触れていく中で、保育実践は、「個人の尊厳」を大切にする憲法実践そのものだ、と気付かされたのです。
 この「気付き」については、昨年、平松知子さんと一緒に書かせていただいた「保育と憲法」(大月書店)で書かせていただきましたので、お手にとっていただければ幸いです。
 また、ありのままの自分を受け止めてもらって育った子どもたちは、自分の気持ちも、友達の気持ちも大事にできるようになります。同時に自分の頭で考え、行動する力も培っていきます。豊かな保育実践は「個人の尊厳」とともに、「民主主義」の基盤を育む尊い営みなのだと思います。

■厳しさを増す保育環境
 ところが、保育をとりまく現実は厳しいものがあります。保育士1人で多くの子どもたちを保育する配置基準や、劣悪な保育士の処遇、さらに「安上がり」の保育政策が進められ、保育園の大規模化なども進んでいます。
 定員が500人を超える保育園、幼稚園も現実に増えています。
 大規模な保育園では、どうしても一人ひとりの個性を大切にする保育は難しくなり、「集団」としての保育が中心にならざるを得ません。
 「集団」のなかで「お利口」であることを求められて育った子どもたちは、大人が求めることには敏感に対応するのかもしれませんが、自分の気持ちをつかみ、表現していくということがどうしても弱くなるのではないでしょうか。
 保育の大規模化は、個人の尊厳とは離れた保育にならざるを得ないのではないか、と思わざるを得ません。
 また、鉄道の高架下の保育園も増えています。親にとって便利であることや、近隣から騒音の苦情がないことなどを売りにしていますが、そこには子どもを真ん中に置いた発想は見当たりません。子どもたちは自分が大切にされていると思って毎日を過ごせているでしょうか。自分も友だちも大切にする人に、育っていってくれるでしょうか。

■親たちの深刻な労働環境
 親たちが置かれている今の社会も大変です。
 正社員が減らされ、不安定雇用が拡大しています。社会の格差が拡大し、6人に1人が「貧困」と言われます。共働きをしなければ生活が出来ない家庭が増えています。
 保育園の需要が増え続けるのは、むしろ当然です。
 待機児童が増えているのは、社会全体の問題なのですから、社会全体で解決していかなければならない問題だと思います。
 しかし、現実には、待機児童解消の名の下に、お金をかけない安上がりの保育が一気に拡大し、とにかく詰め込めばいい、という政策がとられています。
 このような「詰め込み保育」政策の下で、子どもたち一人ひとりを大切にする保育など出来るはずがありません。子どもたちの安全も守られるか、とても心配です。
 保育士の処遇の改善も進んでいません。保育士不足が深刻とされる中で、抜本的な処遇改善が図られなければ、保育現場は回っていきません。
 保育士自身が「大切にされている」と感じながら働けなければ、保育園で子どもたちを大切にする保育など出来るはずもありません。
 保育士の専門性に見合った適切な処遇を実現していくことが急務です。

■壊される「保育の質」と保育に介入する国家
 加えて、一気に進んでいく「保育の無償化」も、世界的に「保育の無償化」は大きな潮流ですが、今日本で進められようとしている「無償化」は注意が必要です。
 認可外のいわゆるベビーホテルなどにもお金が出る、ということになったことは問題があるのではないかと思っています。
 最低基準を確保していない保育が拡大していったら、子どもたちの安全はどうなっていくのでしょうか。
 「儲け」を狙って多くの企業などが参入してくることになれば、「保育の質」は著しく後退します。利益を上げるために、人件費は最大限抑制するでしょうから、保育士の処遇もますます低下することでしょう。
 これまで積み重ねてきた保育の専門性自体も壊されてしまいかねません。
 もしかしたら、この国から「保育」が失われかねない、そんな危機感を抱いています。
 今まさに、「保育」は大きな瀬戸際に立たされている、と言わざるを得ません。
 さらに、この4月から施行された改正保育指針では、「国旗国歌に親しむ」ことが求められます。「国を愛する」という価値観を子どもたちに植え付け、子どもたちを社会の「駒」として育てていこうとしています。
 保育を巡る大きな流れが、「個人の尊厳」とは真逆の方向へと大きく進んでいることを、捉えておくことが必要だと思います。

■保育と憲法は岐路に立たされている。
 憲法改正の動きも加速しています。
 安倍首相の執念はかなりのものです。改憲については、決して諦めていないと思います。
 自民党の改憲草案には、『個人の尊厳」が削除され、ただの「人の尊厳」に変えられていることは注目すべきだと思います。
 一人ひとりを大切にする社会から、人を社会の駒として扱う社会へと転換しようとしている。それが自民党の国家観、人間観ではないか、と思います。
 安倍政権は、憲法9条の改憲を正面から行おうとしていますが、戦争はまさに、一人ひとりを大切にしない、人を社会の駒として扱うことそのものです。
 今、一人ひとりを大切にする社会を選ぶのか、子どもを、人を、社会の「駒」のように扱う社会を選ぶのか、が問われています。
 憲法を守り活かすことと、豊かな保育実践を積み重ねていくこととは、一人ひとりを大切にする社会を作っていく、ということで重なり合っています。まさに、保育実践は憲法実践なのだと思います。
 憲法も保育も岐路に立たされていますが、一番岐路に立たされているのは、子どもたちの未来そのものです。
 子どもたちの未来を守るためにこそ、豊かな保育実践を大切にし、憲法を守っていきたい、そう思っています。
 日々の保育実践の大切さをかみしめながら、目を社会に向け、子どもたちの未来のためにできる小さな保育運動と、小さな憲法運動を、ぜひ、職場から積み重ねていってほしい、そう思います。
 私自身も、弁護士として、また、子どもを持つ親として、子どもたちの未来のためにできることを、一つ一つ大事にしていきたいと思っています。


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by kahajime | 2018-07-22 11:55 | 保育



最近「保育と憲法」(大月書店)という本を出させていただきました。 これまで何冊か本を出させていただいてきましたが、この「保育と憲法」は、明らかに異色な本だと思っています。

この本は、名古屋の民間保育園の園長として、子どもたち、親たち、保育者たちに全力で向き合い、愛情いっぱいの保育を実践している平松知子さんと、弁護士であり、保育園に通う子どもを持つ親でもある川口との対談をまとめたものです。

僕は、これまで、憲法の講演などで、「憲法で一番大事なのは、『一人一人をかけがえのない存在として大事にしていこう』という『個人の尊厳』の思想です」と話してきました。憲法は13条で個人の尊重をうたい、これが憲法の一番の柱だと考えられています。

しかし、「個人の尊厳」と言葉で言うのは簡単ですが、実際にどれだけ自分のものとしてこれたか、あやしいものでした。

そんな僕が、我が子がお世話になっている保育園をはじめ、様々な場面で、子どもたちや保育士さん達から学んでいく中で、ある時気がついたのです。

「これが個人の尊厳、ということなんじゃないか。優れた保育の実践は、憲法実践なのではないか」ということに。「保育ってすごいな」そう実感した瞬間でした。

たとえば、保育園では、0歳児であっても、その子の気持ちに寄り添い、その気持ちを探っていきます。0歳児から個性があり、気持ちがあり、その背景もある。その子どものことを丸ごと受け止めながら、保育を実践しています。

僕の子どもの保育園では「子どもを見る目を豊かにする」をテーマにしていて、子どもの姿について「こんな見方もできるんじゃない?」とみんなで日常的に話しているそうです。決して正解がないからこそ、複数のまなざしで見つめ、子どもをより理解しようとする。子どもから学ぼうとする。目の前の子どもたちをたった一人のかけがえのない存在として尊重していることが伝わってきました。「個人の尊厳」を大切にする、まなざしを感じました。

ありのままの自分を受け止めてもらいながら育った子どもたちは、自己肯定観が育ち、自分も、友達も大事にできるようになります。同時に人の許可や判断を待つのではなく、自分の頭で考え、行動する力も培っていくことでしょう。こうした子どもたちが育っていくことが、人に優しい社会を作っていくこと、そしてこの社会に民主主義が育っていくことにもつながっていると思います。


しかし、現実には大人の用意した「枠」に当てはめる保育をしている保育園も少なくありません。また、現実の社会も、格差と貧困が拡大し、長時間労働の末に命を落とす人も後を絶ちません。「個人の尊厳」が根こそぎ奪われる時代です。

一人ひとりがかけがえのない存在として大切にされる社会を選ぶのか、人が社会の駒として扱われる社会に進むのか。

待機児童解消の名の下に、保育の量ばかりが追求され、保育の質が後回しにされています。また、来年には憲法改正の発議がなされる可能性も高いと思います。

今、保育も憲法も岐路に立っています。

こんな時代だからこそ、一人ひとりを大事にする保育園を守り、広げていくこと、そして保育実践から私たち大人も、人間観、「個人の尊厳」観を学んでいくことが、『個人の尊厳』をはぐくむ源流となるのではないか、と思っています。

超仕事人間だった私が、保育園を通じて大きく変わりました。

とりわけ男性から保育園は遠い存在かもしれませんが、ぜひ、保育園に関心を持っていただけたら、と思っています。



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by kahajime | 2017-10-12 06:48 | 保育
園庭の南側に15階建ての高層マンションが建てられようとしている、名古屋教会幼稚園の続報です。 

名古屋教会幼稚園は、67年前から今の場所にあり、幼稚園の園庭は小さいけれど、 子どもたちの生活と成長にとってかけがえのない場所です。

2016年3月、真南の土地に高層マンションの建設計画が作られましたが、保護者などの署名活動により計画は頓挫し、会社は撤退しました。

しかし、その後、幼稚園が北側にあるのを承知で プレサンスコーポレーションさんが土地 を購入し、15階建ての高層マンションの建設をしようとしています。

前回、 多くの方たちの運動でマンション建設が中止になり、 せっかく子どもたちの環境を守ることができたのに、再び同じ問題が起こっています。

幼稚園のお母さんたちは言います。

「子どもたちのおひさまを守る活動を通して、 私たちの幼稚園と同じような思いや闘いをしている保育園や養護学校などが、たくさんあることを知りました!そして、 みんなが感じているのは、 子どもたちを守るべきはずの行政や自治体が、具体的に何も動いてくれないことです。」

そして、「幼稚園や保育園・ 養護学校などの教育施設の日照と生活環境を守りる条例を作ろう!」と、さらなる運動に踏みだしました。

キャンペーン「子どもたちにおひさまを!」に、是非ご賛同下さい。


ご支援、よろしくお願いいたします。
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by kahajime | 2017-01-08 07:57 | 保育
「教え子が保育園をクビになりそうです、相談にのってもらえませんか」

 ある大学の教員からの電話があったのは9月末のこと。さっそく翌日、その保育士2人(いずれも男性)に会いました。二人は、3月に大学を卒業したばかりで、愛知県X市の公立保育園(それぞれ別の園)に4月から勤めていました。

 2人が持って来た資料を見て驚きました。
 9月23日付で、「9月30日付けで免職とする」という免職通知書。
 そして、「評価状況」をまとめた書面。
 いわゆる「年中さん」を一人で担任することとなったYくんへの「評価」は、例えば、次のような内容でした。
 「4月25日 一日の流れ、時間、内容を確認し指導するが、子どもに合わせた計画が立てられない」「5月6日、不審者対応訓練。避難方法が分からず、子どもを安全に避難させることが出来なかった」「6月5日 昨日は歯みがき指導日であったが、歯みがきの歌を一度も歌っていない。季節の歌を毎日歌っていくことを話した」
 ほぼ毎日、このような「マイナス評価」ばかりが記載されていました。

 さらに、8月16日には、市役所の「人事課面接」がなされ、そこでは、冒頭、「Yさんは、どんなところが出来ていないと思うか」という質問がなされ、Yくん自身が、自分の出来ていないところを次々挙げさせられました。
 そして、9月以降何度も、「笑顔で子どもと接しているか」「間違いを何度も繰り返さない」などの項目毎に、本人評価と上司評価がなされ、その上で、9月23日付の免職通知につながっていました。

 私はすぐに、息子がお世話になっている名古屋市内の民間のA保育園に連絡し、2人を連れて保育園に行きました。そして前園長にこの内容を見ていただいたところ、「これでクビなら、うちの保育士は、大半がクビだよね」。
 その言葉に、「これは明らかにやり過ぎた」との確信を持ち、すぐに市役所内で人事課長らと面談をすることを申し入れました。
 
 そして、翌日午前10時、X市人事課長や保育の担当者らとの面談。私から、
「最初から出来るはずがないではないですか。指導する側の問題は考えなかったのですか」
「人事課面接も、圧迫面接そのものです。その自覚はないのですか」
「保育園は人の育ちの場であるはず。人のマイナスばかりを探して批判する職場で、良い保育ができっこないではないか」
「若い人の人生を一体何だと思っているのですか。しっかり育てていく覚悟を持たずに採用したのですか」
 など述べ、さらに免職に至るまでの手続きを確認し、手続きの瑕疵を指摘しました。
 そして、市側に再考を迫り、「検討する」との発言を得て、面談を終えました。
 「人事評価」が人を支配し、排除する仕組みとして機能している。それが保育現場でも浸透していることを痛感し、問題だと思いました。
 
 面談後、Yくんは「言いたいことをすべて言ってもらって、ほんとうにスッキリしました。ありがとうございました」と深く頭を下げられました。
 そして、「このまま、この職場にしがみつく価値があるのか、よく考えます」 
 最終的には、2人とも、30日を前に、自ら辞表を出すという判断をしました。
 しかし、たくさん傷つけられながらも、最後にしっかり市側と厳しいやりとりをして、主体的に選んだ選択だと思います。
 
 10月なかば、先に相談に行った息子がお世話になっているA保育園に見学に行かせて戴き、私も同行させていただきました。
 いつもお世話になっている保育園ですが、しっかり見学するのはなかなかないので、僕にとっても良い経験でした。
 そこで、一人ひとりの個性を大事にした保育現場を体感し、そして、園長、前園長、主任、そしてその担任の保育士からの温かい言葉に励まされ、Yくんは、「やっぱり保育をやりたい、保育士にもう一度チャレンジしよう」と決意を固めました。

 12月なかばに、Yくんから、僕もよく知っている民間の保育園の試験を受け、合格しました、という報告が私のところにありました。
 Yくんは、自分自身にも未熟なところがたくさんあることを直視して、良い保育士になれるよう頑張っていきたいです、と笑顔で言っていました。

 弁護士は、紛争の最前線に切り込み、相手と対峙し、本人を守るために力を尽くすことはできても、本人が新たな人生を選び取るところまで力になることは出来ません。
 彼が、自分の新たな道を切り開くことが出来たのは、A保育園の皆さんのおかげです。
 A保育園に心から感謝し、そして、Yくんの今後に期待したいと思います。
 今回の問題は、公立保育園共通の問題として、今後も追及していきます。
  
 
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by kahajime | 2016-12-22 15:21 | 保育
まちづくりと保育園
 まちづくり政策で注目されるアメリカの多くの都市の「成長の管理」政策ですが、その政策の1つとして、リンケージ政策があります。リンケージ政策とは、良好な都市環境に必要なオープンスペース、交通基盤、デイケア、住宅とオフィス発展を結びつける政策で、開発業者に様々な施設の整備か、その対価としての開発課徴金負担を義務づけるものです。
 サンフランシスコでは、保育リンケージ政策がとられており、5万平米フィート以上の新しいオフィスやホテルなどの開発に対して保育施設の設置を義務づけたアメリカ最初の主要都市です。現在シアトルなども同様に政策をとっています。
 複数の開発業者が共同で付近に施設を建設することも可能であり、職場と保育所の近接を可能にしています。
 こうした施設の設立については容積率の増加などの優遇措置もとられているようです。
 オフィスなどが増え、就業人口が増える地域においては保育所のニーズも同時に高まることは避けられません。 
 保育ニーズに対して、公立保育園や認可保育園を拡大していく、ということには費用の面で限界があります。「まちづくり」のプレーヤーという意味では、企業に保育所の設置かそれにみあう費用を拠出させるという考えは、むしろ公平にかなうものですし、企業の社会的責任、という面でも、一定の費用の拠出を求める合理性はあると思います。
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by kahajime | 2013-01-19 16:27 | 保育
12月9日(日)、福岡の福岡市少年科学文化会館で、子ども子育て新システムの話をさせていただきます。

福岡県保育センターというところが主催の「第22回子育て保育のつどい」の講師に呼んでいただきました。

僕の紹介を「つどいニュース」載せてくれています。僕のツイッターをよく読んでくれていて、びっくりしました…。くだらないツイートが多くて、ほんとすみません…。

12月9日は、選挙真っ最中になってしまい、落ち着かない中です。

しかし、選挙の機会をフルに使い、こちらから候補者に積極的に新システムの問題を訴えてゆく運動をしていく必要があると思います。

成立した法律がとても分かりにくいのですが、法律の細かい点の解説ではなく、新システムの本質的な問題点を大きく掴んでいただき、運動にどうつなげていくか、選挙までその時点で一週間で何ができるのか、一緒に考えていきたいと思います。
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by kahajime | 2012-11-26 01:21 | 保育
第1 はじめに
 
 ハーバード白熱授業で日本でも有名になったマイケル・サンデル氏は、「市場の論理が社会の多くの領域に入り込んでいます。こ の30年間『市場社会』とでも呼べる社会になっていて、特に欧州や米国では顕著です」 と述べ、「道徳に関わる領域まで市場の論理が入り込んでいます」(朝日新聞2012年6 月7日)と、現代の「市場社会化」に対して警笛を鳴らしている。
 ここでは、現在国会で議論が行われている「子ども子育て新システム」と市場の論理との関係について検討する。

 
第2 「子ども・子育て新システム」とは
 1 2012年6月末の「3党合意」によって、「子ども子育て新システム」の柱の1つである「総合こども園法」は撤回された。しかし、「保育の市場化」という「子ども・子育て新システム」の本質は変わらぬまま、衆議院を通過し、2012年7月末現在、参議院での議論が始まっている。
 まず、「子ども・子育て新システム」(以下「新システム」)について簡単に俯瞰する。

 2 現在の児童福祉法上では、市町村は、保護者から保育の申し込みがあり、保育の必要がある場合には、「保育所において保育しなければならない」(児童福祉法24条)とされ、市町村に保育の実施責任が課せられている。そのため、公立保育園に対してはもちろん、私立の認可保育所に対しても自治体が必要な補助金を出して保育所の運営を財政的に支えてきた。

 保育料は、親の収入に応じて決められ(応能負担)、同じ自治体なら、公私の差は基本的にない。こうした制度により、親の収入に関わりなく、保育を必要とするすべての子どもが均しく良質な保育を受けられるような仕組みを作り、日本社会全体で子どもを大事に育ててきた。

3 「新システム」ではどうなるか
 これに対し、「新システム」では、児童福祉法24条を変え、市町村の「保育実施責任」を後退させ、自治体から保育園への補助金をなくし、保育を市場に委ねる。
 市町村は保育の必要量を認定し、それを基準に利用料の一部を保育園ではなく親に「現金給付」として支給する。親は、「給付」を足しに、保育園に保育料を払うことになる。 

  しかし、この「現金給付」がどのくらい出るのか、金額も割合も法律では決めない。
 一端決まったとしても基準がないため、常に下げることが可能である。

  保育料の「足し」としての「現金給付」があったとしても、自治体から保育園への補助金がなくなるため、保育所の運営は厳しくなり、親が負担する保育料は確実に上がるだろう。

   「子ども子育て新システム」は、保育を「市場化」するための施策である。

第3 「市場社会化」の一環としての「保育制度改革」
 「子ども子育て新システム」は、市場の論理を保育制度の導入していくものである。
 しかし、本来、「保育」は、非市場的規範の律する領域である。

 こういった非市場的規範領域に市場の論理が拡大されていくことについて、マイケル・サンデル氏は次のように述べている。

  「セックス、出産、育児、教育、健康、刑罰、移民政策、環境保護」などは、非市場的領域であり、本来「道徳の領域」にあるものとし、具体的な例として、保育所の延長保育の事例を挙げている(「それをお金で買いますか」129頁)。

 サンデル氏は、非市場的規範の律する保育の領域に市場の論理が応用された結果、親側の「保育士に迷惑をかけない」という「道徳的義務」が後退し、「保育士にお金を払えばすむ」と親の「規範が変わった」と指摘し、親と保育士との関係が「道具主義的」に変化してしまったと指摘している。

 「市場化」によって、本来私たちのコミュニティーにあった非市場的な規範が後退する現実に対し、サンデル氏は、「非市場的な規範や期待が失われると、われわれが後悔するような(あるいは少なくとも後悔すべき)方向に、活動の性格が変わってしまうだろうか。もしそうだとすれば、われわれは金銭的インセンティブをその活動に取り入れるのを-そこにある程度の利点があるとしても-避けるべきだろうか」(131頁)と私たちに問題を投げかけている。
 

第4 「市場化」で変わる保育現場
 1 サンデル氏は、非市場的領域に市場が参入することで、本来そこにあった規範や期待が失われる可能性を、延長保育の事実を挙げて指摘した。
 ここでは、さらに、「新システム」によってもたらされるであろう保育現場の規範の喪失について、私なりに考えてみたい。

 2 保育所の規範(意識)も変化する
  保育所の規範も変化する危険がある。
  これまでは、少なくとも、公立保育園や、社会福祉法人が経営する認可保育園では、「一人ひとりの子どもを大事に育てる」という規範が支配し、利益を上げるという金銭的インセンティブは少なくとも表面的には存在していなかった。
 しかし、市場化が導入されることで、「より利益を上げる保育園が良い保育園だ」と、価値観が変化する。
 その結果、保育園ではコスト削減が進み、正規職員の解雇と非正規職員の拡大が進む。他方で、保育園は子どもの「詰め込み保育」を進め、利益の最大化を図ろうとするだろう。

 現実に、すでに市場化が導入されている介護保険の分野では、現在、社会福祉法人の内部留保が問題となっているし、また、2006年には、六本木ヒルズに本社を構えていたグッドウィルグループ・コムスンの不正が発覚している。
 
 保育の世界が、「子どもが第一」ではなく、「利益の最大化が第一」と意識に変化していく可能性が十分ある。
  
 その結果、子どもの生命身体に対する危険は一気に増大し、保育園での死亡事故が、増えていく危険性が指摘されている。

 「子どもの命が何よりも大事だ」という「規範」が後退し、市場の論理によって「保育事故を生むような廉価な保育所に入れた親が悪い」という「自己責任」の価値観へと変化していく危険がある。     


第5 スカイボックス社会
 1 アメリカの保育は、親の収入に応じて格差があるのが当たり前となっており、格差が拡大している。廉価の保育所では、給食がハンバーガーなどのファーストフードで、「味が濃いので満腹になりやすい」などを売りにしているところすらある。
 
 少しマシな保育所に入れようとすれば、月額20万円程度の保育料が必要とされているが、実際にそこまで払える親は限られている。

 親の収入に応じた棲み分けが固定化してしまい、格差が世代間に連鎖している。そして、「親が金持ちか否かで保育の質が異なることは当然である」という価値観がアメリカ社会を支配してしまっている。

 2 日本でも格差拡大
 「新システム」の最も重要な「柱」は、保育園へ直接の補助金をなくし、親への「給付」にすることにある。
 保育園は、親からの保育料で園の運営を行っていくことになる。
 その保育料の「足し」として、親に「給付」が支給されることになるが、こういった「現金給付」は、国や自治体の方針でいくらでも下げたり出来る。  
  
 保育園では、保育園の人件費切り下げなども恒常的に行うことにならざるを得なず、親も保育園も、極めて不安定な状態に置かれることになる。その結果、保育園に子どもを入れても、親が保育料の増額に耐えかね、保育園を辞める子どもが増えかねない。

 さらに、これまでは、地域内ではどの保育園でも、親の給料に応じて支払う金額は均一であったが、新システムでは保育料の格差が拡大していく。

 そこで、親の収入によって保育園の「棲み分け」が行われ、低収入の親を持つ子どもが保育園から排除されかねない。

  本来最も保育が必要な子どもが、社会から排除される結果となりかねない。
 
  「すべての子どもは、親の収入に関係なく、等しく慈しまれる、よって、皆等しい質の保育を受けられる」という規範が後退し、「子どもは生まれながらにして親の収入に応じて格差があって当然」という価値観へと変わってゆく。
  格差と貧困の世代間連鎖が固定化し、差別が固定化してゆく。

 3 スカイボックス化
  サンデル氏は、「それをお金で買いますか」283頁~284頁で次のように述べている。

  「お金で買えるものが増えれば増えるほど、異なる職種や階層の人達が互いに出会う機会は減っていく」「格差が広がる時代に、あらゆるものを市場化するとうことは、懐の豊かな人とそうでない人がますますかけ離れた生活を送ることを意味する。われわれは別々の場所で暮らし、働き、買い物をし、遊ぶ。子どもたちは別々の学校に通う。それはアメリカ人の生活のスカイボックス化と呼べるかもしれない。それは民主主義にとってよくないし、満足できる生き方ではない。」
  
 保育の「市場化」を進める「子ども子育て新システム」によれば、生まれたばかりの子どもたちの育ちが「スカイボックス化」し、世代間の格差の連鎖も続くだろう。

 サンデル氏は、さらに「民主主義には完璧な平等が必要なわけではないが、市民が共通の生を分かち合うことが必要なのは間違いない。大事なのは、出自や社会的立場の異なる人達が日常生活を送りながら出会い、ぶつかり合うことだ。なぜなら、それが互いに折り合いをつけ、差異を受け入れることを学ぶ方法だし、共通善を尊ぶようになる方法だからだ。」と述べる。

 保育の現場はまさにそうである。

 さまざまな出自の子ども達と触れあい、喧嘩もしながら毎日の生活を送る。そこで差異の受け入れを学び、人間としての基本的な生き方を身につけていくのが、保育園である。

 生まれたときから、人間を階層化、スカイボックス化をすることは、違う他者を尊重し合う、「個人の尊厳」(憲法13条)を軽視することにもつながる。

 この結果は、サンデル氏が言うように、これは民主主義にとって決して良いことではない。

 サンデル氏は、最後に、「結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにしてともに生きたいかという問題なのだ。われわれが望むのは、何でも売り物にされる社会だろうか。それとも、市場が称えずお金では買えない道徳的・市民的善というものがあるのだろうか」と問題を私たちに投げかけている。 

第6 今こそ「保育の中身」の議論を
 サンデル氏は、朝日新聞のインタビューで、「政治は中立であるべきだとのロールズの議論に対し、私は道徳に中立な政治は好ましいかと問いました。好ましくもないし、可能でもないというのが結論です。30年後の社会を見通していたわけではありません。しかし道徳に中立であろうとする政治が、今の市場社会をもたらしたなら、当時の私の結論はやはり正しかったと思います」と述べている。
 
 ロールズを初めとするリベラリズムは、功利主義を批判する一方で、政治的中立性の立場に立ち、その結果、本来すべき価値の議論を「棚上げ」してきた。そのために「市場社会」化の流れを食い止められなかった部分は確かにあるのではないか。
 
 保育制度に関していえば、本来、子どもの保育、育ちを、社会全体でどう支え合うのか、その先に、どんな日本の未来を描くのか、そういった議論は不可欠である。

 しかし、こういった「価値」の議論を棚上げしてきてしまった。
 
 この間の「子ども子育て新システム」の作業部会の議論を見る限り、子どもの立場に立った議論はほとんどない(内閣府のHPで見ることが出来る)。

 企業にどうやって「保育業界」に参入させるインセンティブを作るか、という議論と、逆にその歯止めをどうするか、という、まさに「システム」の話に終始してきた。

 私達が、本質の議論を回避してきた結果、私たちはお金の議論しかできなくなり、教育、保育の価値の議論をする力すら、失ってしまったのかもしれない。

 この「ツケ」はあまりにも大きい。

 保育制度に関して言えば、どのように子ども達を社会全体でどう育てていくか、日本社会は今後どんな社会を目指すのか、など、本来すべき議論がある。

 「価値」の議論を「棚上げ」せず、意見の対立を怖がらず、全国民的に正面から議論していくことが、私達には求められているのではないだろうか。

   
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by kahajime | 2012-08-01 01:42 | 保育
子ども子育て新システムはどうなったかについて、数日前のブログの記事に加えて、ちょっとだけ、詳しく書いてみます。

第1 「子ども子育て新システム」と3党合意について

6月末の三党合意で、「総合こども園法」の撤回され、子ども・子育て支援法については修正となりました。待機児童解消に繋がらない「総合こども園」法が撤回された点は、運動の成果です。
  
しかし、新システムの本質は巧妙に残されています。新システムの本質は、保育園への補助金から、親への現金給付化ですが、そこが残っています。

また、児童福祉法も巧妙に修正されています。
 「市町村は、児童福祉法及び子ども・子育て支援法の定めるところにより、保育を必要とする子どもに対して」となっていて、上位法である児童福祉法を、下位の法律の子ども子育て支援法が規定してしまっています。

その結果、「支援法の範囲」に限定した形で、市町村は責任を負う、ということになり、市町村の役割の後退します。

保育園への委託料も、附則に盛り込み、「当分の間」に限っています。

第2 現金給付化の問題

 「現金給付化」についてですが、現行制度では、市町村に保育実施義務があるので、補助金支出義務があります。その結果、親の収入にかかわらず公平な保育料負担となり、同質の保育が受けられます。

しかし、新システムでは、市町村には保育実施義務がなくなり、補助金を保育園に支出しません。
現金給付をするのみです。

その結果、保育実施義務がなくため、自治体に責任が問えません。

親からの保育料(手当含む)という形になるので、使途制限なくなり、保育所では運営の自由になります。
特に企業園など、お金を利益に回すことが可能になり、また、社会福祉法人でも、内部留保の問題不可避です。社会福祉法人の内部留保は介護保険で出ている問題です。

その反面、保育の質の低下にしわ寄せがいく保育所が増える可能性があります。
    
親の負担変わり、短期長期二分になります。延長分は一切補助がなく、全額自己負担となります。

この制度で、財務省、厚生労働省としては、補助金でなくなるので、財政抑制が可能になります。
企業等:保育園側は、儲けようと思えば儲けられます。
    


弊害としては、次のことが考えられます。
    ・本当に保育が必要な子どもを排除する可能性
    ・手厚い保育をしようとしてきた保育園ほど経営困難に。
    ・保育料は上がるだろうし、予測も困難に。年々上がる可能性も大。
    ・コスト削減が進み、詰め込み保育増大の危険。
    ・保育の質が大きく変わる。この日本から「保育」がなくなる危機。
    ・子どもではなく親の収入と仕事の仕方で、子どもが選別される。

この制度の思想的背景には、この10年あまり、日本の福祉行政を支配している社会保障制度の準市場論が強く働いています。新自由主義と結びつく発想です。
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by kahajime | 2012-07-11 17:13 | 保育
消費税増税に併せて進められている「子ども子育て新システム」ですが、6月末の「三党合意」で「総合こども園」が撤回されるなど、大幅に修正されました。

これは、全国の保育園や父母の反対の大きな声が届いた成果です。

 しかし、修正後も、保育園を補助金などで直接支えている今の保育制度を解体してしまうという「新システム」の本質は変わっていません。

 保育園への補助金をなくして親への「現金給付」にすることで、子ども手当同様、いつでも金額を下げることができ、国の「歳出抑制」を容易にします。自治体の保育実施責任も後退させ、仮に保育現場で事故などがあっても、自治体の責任は問われなくなります。

 保育が「市場原理」で運営されることになるため、保育園の経営は不安定になります。 こうした制度は介護保険や障がい者自立支援法ですでに進められてきたものです。そして今、毎年たくさんの事業所がつぶれています。

 子どもたちが安全に毎日を過ごすことが、保育園では何より求められるはずです。

 この前提を足下から否定する「新システム」は絶対に廃案にしないといけません。

 2月に出させてもらった私の拙著「子どもと保育が消えてゆく」は、すでに2刷りとなりました。多くの方に読んでいただきました。国会議員の多くも読んでくれました。

 また、いわさきちひろ美術館から協力いただいて作った「ちひろリーフ」は、あっという間に10万枚が市民に届き、運動のツールとして活用されています。

 こうした運動の力で、新システムをここまで追い込んできたのは間違いありません。

 「大好きな保育園をこわさないで」のHP(http://www.kodomo-hoiku.jp/)をご覧いただき、リーフをご注文いただき、大いに活用いただきたいと思います。

 最後まで諦めず、廃案に追い込むため、お力をお貸し下さい。

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by kahajime | 2012-07-11 00:13 | 保育