「教え子が保育園をクビになりそうです、相談にのってもらえませんか」
ある大学の教員からの電話があったのは9月末のこと。さっそく翌日、その保育士2人(いずれも男性)に会いました。二人は、3月に大学を卒業したばかりで、愛知県X市の公立保育園(それぞれ別の園)に4月から勤めていました。
2人が持って来た資料を見て驚きました。
9月23日付で、「9月30日付けで免職とする」という免職通知書。
そして、「評価状況」をまとめた書面。
いわゆる「年中さん」を一人で担任することとなったYくんへの「評価」は、例えば、次のような内容でした。
「4月25日 一日の流れ、時間、内容を確認し指導するが、子どもに合わせた計画が立てられない」「5月6日、不審者対応訓練。避難方法が分からず、子どもを安全に避難させることが出来なかった」「6月5日 昨日は歯みがき指導日であったが、歯みがきの歌を一度も歌っていない。季節の歌を毎日歌っていくことを話した」
ほぼ毎日、このような「マイナス評価」ばかりが記載されていました。
さらに、8月16日には、市役所の「人事課面接」がなされ、そこでは、冒頭、「Yさんは、どんなところが出来ていないと思うか」という質問がなされ、Yくん自身が、自分の出来ていないところを次々挙げさせられました。
そして、9月以降何度も、「笑顔で子どもと接しているか」「間違いを何度も繰り返さない」などの項目毎に、本人評価と上司評価がなされ、その上で、9月23日付の免職通知につながっていました。
私はすぐに、息子がお世話になっている名古屋市内の民間のA保育園に連絡し、2人を連れて保育園に行きました。そして前園長にこの内容を見ていただいたところ、「これでクビなら、うちの保育士は、大半がクビだよね」。
その言葉に、「これは明らかにやり過ぎた」との確信を持ち、すぐに市役所内で人事課長らと面談をすることを申し入れました。
そして、翌日午前10時、X市人事課長や保育の担当者らとの面談。私から、
「最初から出来るはずがないではないですか。指導する側の問題は考えなかったのですか」
「人事課面接も、圧迫面接そのものです。その自覚はないのですか」
「保育園は人の育ちの場であるはず。人のマイナスばかりを探して批判する職場で、良い保育ができっこないではないか」
「若い人の人生を一体何だと思っているのですか。しっかり育てていく覚悟を持たずに採用したのですか」
など述べ、さらに免職に至るまでの手続きを確認し、手続きの瑕疵を指摘しました。
そして、市側に再考を迫り、「検討する」との発言を得て、面談を終えました。
「人事評価」が人を支配し、排除する仕組みとして機能している。それが保育現場でも浸透していることを痛感し、問題だと思いました。
面談後、Yくんは「言いたいことをすべて言ってもらって、ほんとうにスッキリしました。ありがとうございました」と深く頭を下げられました。
そして、「このまま、この職場にしがみつく価値があるのか、よく考えます」
最終的には、2人とも、30日を前に、自ら辞表を出すという判断をしました。
しかし、たくさん傷つけられながらも、最後にしっかり市側と厳しいやりとりをして、主体的に選んだ選択だと思います。
10月なかば、先に相談に行った息子がお世話になっているA保育園に見学に行かせて戴き、私も同行させていただきました。
いつもお世話になっている保育園ですが、しっかり見学するのはなかなかないので、僕にとっても良い経験でした。
そこで、一人ひとりの個性を大事にした保育現場を体感し、そして、園長、前園長、主任、そしてその担任の保育士からの温かい言葉に励まされ、Yくんは、「やっぱり保育をやりたい、保育士にもう一度チャレンジしよう」と決意を固めました。
12月なかばに、Yくんから、僕もよく知っている民間の保育園の試験を受け、合格しました、という報告が私のところにありました。
Yくんは、自分自身にも未熟なところがたくさんあることを直視して、良い保育士になれるよう頑張っていきたいです、と笑顔で言っていました。
弁護士は、紛争の最前線に切り込み、相手と対峙し、本人を守るために力を尽くすことはできても、本人が新たな人生を選び取るところまで力になることは出来ません。
彼が、自分の新たな道を切り開くことが出来たのは、A保育園の皆さんのおかげです。
A保育園に心から感謝し、そして、Yくんの今後に期待したいと思います。
今回の問題は、公立保育園共通の問題として、今後も追及していきます。
ある大学の教員からの電話があったのは9月末のこと。さっそく翌日、その保育士2人(いずれも男性)に会いました。二人は、3月に大学を卒業したばかりで、愛知県X市の公立保育園(それぞれ別の園)に4月から勤めていました。
2人が持って来た資料を見て驚きました。
9月23日付で、「9月30日付けで免職とする」という免職通知書。
そして、「評価状況」をまとめた書面。
いわゆる「年中さん」を一人で担任することとなったYくんへの「評価」は、例えば、次のような内容でした。
「4月25日 一日の流れ、時間、内容を確認し指導するが、子どもに合わせた計画が立てられない」「5月6日、不審者対応訓練。避難方法が分からず、子どもを安全に避難させることが出来なかった」「6月5日 昨日は歯みがき指導日であったが、歯みがきの歌を一度も歌っていない。季節の歌を毎日歌っていくことを話した」
ほぼ毎日、このような「マイナス評価」ばかりが記載されていました。
さらに、8月16日には、市役所の「人事課面接」がなされ、そこでは、冒頭、「Yさんは、どんなところが出来ていないと思うか」という質問がなされ、Yくん自身が、自分の出来ていないところを次々挙げさせられました。
そして、9月以降何度も、「笑顔で子どもと接しているか」「間違いを何度も繰り返さない」などの項目毎に、本人評価と上司評価がなされ、その上で、9月23日付の免職通知につながっていました。
私はすぐに、息子がお世話になっている名古屋市内の民間のA保育園に連絡し、2人を連れて保育園に行きました。そして前園長にこの内容を見ていただいたところ、「これでクビなら、うちの保育士は、大半がクビだよね」。
その言葉に、「これは明らかにやり過ぎた」との確信を持ち、すぐに市役所内で人事課長らと面談をすることを申し入れました。
そして、翌日午前10時、X市人事課長や保育の担当者らとの面談。私から、
「最初から出来るはずがないではないですか。指導する側の問題は考えなかったのですか」
「人事課面接も、圧迫面接そのものです。その自覚はないのですか」
「保育園は人の育ちの場であるはず。人のマイナスばかりを探して批判する職場で、良い保育ができっこないではないか」
「若い人の人生を一体何だと思っているのですか。しっかり育てていく覚悟を持たずに採用したのですか」
など述べ、さらに免職に至るまでの手続きを確認し、手続きの瑕疵を指摘しました。
そして、市側に再考を迫り、「検討する」との発言を得て、面談を終えました。
「人事評価」が人を支配し、排除する仕組みとして機能している。それが保育現場でも浸透していることを痛感し、問題だと思いました。
面談後、Yくんは「言いたいことをすべて言ってもらって、ほんとうにスッキリしました。ありがとうございました」と深く頭を下げられました。
そして、「このまま、この職場にしがみつく価値があるのか、よく考えます」
最終的には、2人とも、30日を前に、自ら辞表を出すという判断をしました。
しかし、たくさん傷つけられながらも、最後にしっかり市側と厳しいやりとりをして、主体的に選んだ選択だと思います。
10月なかば、先に相談に行った息子がお世話になっているA保育園に見学に行かせて戴き、私も同行させていただきました。
いつもお世話になっている保育園ですが、しっかり見学するのはなかなかないので、僕にとっても良い経験でした。
そこで、一人ひとりの個性を大事にした保育現場を体感し、そして、園長、前園長、主任、そしてその担任の保育士からの温かい言葉に励まされ、Yくんは、「やっぱり保育をやりたい、保育士にもう一度チャレンジしよう」と決意を固めました。
12月なかばに、Yくんから、僕もよく知っている民間の保育園の試験を受け、合格しました、という報告が私のところにありました。
Yくんは、自分自身にも未熟なところがたくさんあることを直視して、良い保育士になれるよう頑張っていきたいです、と笑顔で言っていました。
弁護士は、紛争の最前線に切り込み、相手と対峙し、本人を守るために力を尽くすことはできても、本人が新たな人生を選び取るところまで力になることは出来ません。
彼が、自分の新たな道を切り開くことが出来たのは、A保育園の皆さんのおかげです。
A保育園に心から感謝し、そして、Yくんの今後に期待したいと思います。
今回の問題は、公立保育園共通の問題として、今後も追及していきます。
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by kahajime
| 2016-12-22 15:21
| 保育