10年以上前の話であるが、NTTリストラ訴訟弁護団の一員としてNTTの経営分析を担当し、NTTの担当者の尋問も担った。経営分析では経営学の学者に指導いただき、会計学の重要性を実感した。
裁判では、「人件費の物件費化が進められている」との軸でNTTのリストラ政策批判を展開した(名古屋訴訟は、勝利的和解)。
会計学を理解する過程で知ったのは、会計基準が我が国に及ぼしている影響の大きさである。
そして今、改めて、会計基準の影響の大きさを痛感している。
以下は、自分の認識の整理のためのものである。専門外であるので、不正確な部分はお許し戴きたい。
我が国の会計では従来、収益費用アプローチを重視し、純利益を重視し、発生主義会計、原価主義会計を基本構造としてきた。
これに対し、ロンドンを中心に発展してきた国際財務報告基準(IFRS)の特徴の1つとして、時価主義・公正価値会計がある。この「公正価値会計」に関しては、国際会計基準委員会(IASB)が2009年5月に公開草案「公正価値測定」を、2011年5月には、IFRS第13号「公正価値測定」を公表している。
「公正価値会計」は、1980年代後半から、デリバティブ等の新しい金融派生商品の急速な開発・普及等を背景として、金融商品会計を中心に世界的な普及を見せており、我が国にも多大な影響を及ぼしている。
我が国も、橋本政権下のいわゆる金融ビッグバン以降、金融資産に時価主義が導入され、その後徐々に適用範囲が拡大されてきた。
九州大学大学院の岩崎勇氏が「国際会計研究学会臨時増刊号2010年度」の「IFRS導入と公正価値会計の浸透」99頁において、従来の日本の会計思考と時価主義との対比を示している。
岩崎氏によれば、従来の日本の会計思考が、①産業資本主義的な思考に基づき、②収益費用中心観に立ち、③発生主義会計・原価主義会計を基本構造とし、④時価の適用範囲は、金融ビッグバン以降も基本的には金融商品に限定されているのに対し、IFRSの基本思考は、①金融資本主義的な思考に基づき、②資産負債中心観に立ち、③全面時価会計を基本構造としている、と整理されている。
さらに岩崎氏によれば、「我が国が長期志向でゴーイング・コンサーンを前提とした製造業的な思考の下での会計観を従来から採用してきており、他方、IFRSは、ファイナンス理論的な観点から、企業それ自体をも1つの商品として捉え、M&A等により企業を売買することを視野に入れた考え方に影響を受けている。言い換えれば、IFRSは、短期志向で投資の清算価値を常に念頭に置く金融業的な思考の下での会計観を採用していると考えられる。」としている。
IFRSの会計観によれば、投資家は企業自体の「商品」としての価値を重視していることから、「商品」としての企業の事業用資産等も、売却を前提とした出口価格評価を想定しており、時価としての「公正価値」を重視することとなる。
このIFRSの会計観は、
1)投資家は企業それ自体の「商品」としての価値を重視することから、「企業価値とは現在持っている資産のストックが大事であり、資産の時価が重要である」と考える。
2)そこで、資産と負債を全面的に時価で評価し、その差額である純資産の大きさこそが、投資家が企業の価値を把握するときに大事だ、という考え方につながる。
3)時価会計については、我が国も現実に有価証券について時価会計の導入をしたことにより、有価証券の含み損益が開示されることになり、会社の株主、投資家にとっては、投資の意思決定に役立つ情報がより充実したと考える。したがって時価会計の導入は、現在の企業の「価値」を図る上で大きなメリットがあるとみる。
4)また、時価会計の導入が進むことで、企業はこれまで以上に収益性重視の方向に向かうことになり、投資家にとってはメリットとなる、と考える。
5)したがって、時価主義の全面的導入は、企業の価値を把握し、また企業により収益性を重視させる、という点で投資家にとってメリットとなる。
以上が、時価主義を重視する会計観の基本と言える。
しかし、私は、以下の数点から、時価主義が拡大していくことについて、強く危惧をしている。
(1)「公正価値」の評価が可能かという問題
まず、有価証券であれば、時価の評価は可能であるが、それ以外の事業資産など、時価で評価することが困難な場合が少なくない。
特に、中古市場などもない場合、極めて主観的な「時価」を「公正価値」と言って「評価」する他ない。このような「時価」が果たして本当に「公正」な資産評価が可能であるのか、極めて疑問である。
むしろ、主観的な評価ばかりに支配された財務諸表を公開することで、投資家の利益を逆に阻害するおそれも否定できない。
(2)中長期的視点の欠如と企業価値の捉え方の問題
短期的な利益を上げる投資家の利益を重視しすぎることにより、企業が中長期的に利益を拡大していく、という安定的な経営が困難となる、という弊害がある。
そもそも、企業の価値も、その企業の資産のストックや負債の価値のみをもって、企業の価値が決まるわけではないはずである。上記岩崎氏も、企業価値とは、「将来どのくらいの成果を稼ぐか、という見込みによって決まる」(101頁)としており、我が国の産業資本主義的な会計観に、IFRSの企業価値の捉え方は馴染まない。
(3)企業の安定性を著しく欠く
さらに、大畑伊知郎の「日本経済を壊す会計の呪縛」(新潮新書)によれば現実に金融商品に対する時価会計の導入により、会社が保有する有価証券の含み損益が開示されることになったため、有価証券の含み損により、自己資本が目減りするということが起こり、企業の安定性が脅かされるようになった(45頁)。その結果、株式の持ち合いの解消が進み、安定株主に変わって外国人投資家が拡大し、株主の立場に立った収益性重視の経営に転じた、とする。
もし、資産負債がすべて時価評価となれば、企業活動自体を健全に行っていたとしても、企業活動と離れた資産価値の変動によって、会社の自己資本がマイナスとなり負債が資産を上回る、という状態になってしまい、一気に倒産の危機にさらされることとなり、企業が極めて不安定な存在となってしまう。
かかる事態を回避するために、企業は今以上に内部留保を高め、非正規雇用の拡大などに拍車がかかりかねない。
(4)長期的に企業価値を低める
さらに、時価会計の全面適用がなされれば、今以上に企業は目先の利益拡大が至上命題となり、西武ホールディングスのように、投資家から、不採算部門(西武の場合は、地域の資源でもある鉄道)の切り捨てを求められることが日常化するのではないか。
そのことは結果として長期的には企業価値を低めることになりかねないのではないか。
少なくとも、会計上の資産と負債を全面的に時価(公正価値)で評価し、その差額である純資産の大きさを投資家(株主)にとっての企業価値(株主価値)の指標にすべき、というような全面的な時価会計基準は、我が国に馴染むものではない。
時価会計基準の適用範囲の拡大は、日本の堅実な「ものづくり産業」を衰退させ、非正規雇用の拡大にも拍車がかかることは必至である。
時価会計基準の適用が拡大していけば、「下町ロケット」の佃製作所のように、長期的な展望を持ってものつくりにチャレンジをする中小企業は絶滅しかねない。
会計基準の問題は弁護士にとって盲点であるが、企業法制や労働法制と極めて密接に連関し合っていることから、常に注視が必要である。
【参考文献】
・岩崎勇「IFRS導入と公正価値会計の浸透」国際会計研究学会臨時増刊号2010年度
・福井義高「公正価値会計の経済的帰結」金融研究2011.8
・大畑伊知郎「日本経済を壊す 会計の呪縛」(新潮新書)
裁判では、「人件費の物件費化が進められている」との軸でNTTのリストラ政策批判を展開した(名古屋訴訟は、勝利的和解)。
会計学を理解する過程で知ったのは、会計基準が我が国に及ぼしている影響の大きさである。
そして今、改めて、会計基準の影響の大きさを痛感している。
以下は、自分の認識の整理のためのものである。専門外であるので、不正確な部分はお許し戴きたい。
我が国の会計では従来、収益費用アプローチを重視し、純利益を重視し、発生主義会計、原価主義会計を基本構造としてきた。
これに対し、ロンドンを中心に発展してきた国際財務報告基準(IFRS)の特徴の1つとして、時価主義・公正価値会計がある。この「公正価値会計」に関しては、国際会計基準委員会(IASB)が2009年5月に公開草案「公正価値測定」を、2011年5月には、IFRS第13号「公正価値測定」を公表している。
「公正価値会計」は、1980年代後半から、デリバティブ等の新しい金融派生商品の急速な開発・普及等を背景として、金融商品会計を中心に世界的な普及を見せており、我が国にも多大な影響を及ぼしている。
我が国も、橋本政権下のいわゆる金融ビッグバン以降、金融資産に時価主義が導入され、その後徐々に適用範囲が拡大されてきた。
九州大学大学院の岩崎勇氏が「国際会計研究学会臨時増刊号2010年度」の「IFRS導入と公正価値会計の浸透」99頁において、従来の日本の会計思考と時価主義との対比を示している。
岩崎氏によれば、従来の日本の会計思考が、①産業資本主義的な思考に基づき、②収益費用中心観に立ち、③発生主義会計・原価主義会計を基本構造とし、④時価の適用範囲は、金融ビッグバン以降も基本的には金融商品に限定されているのに対し、IFRSの基本思考は、①金融資本主義的な思考に基づき、②資産負債中心観に立ち、③全面時価会計を基本構造としている、と整理されている。
さらに岩崎氏によれば、「我が国が長期志向でゴーイング・コンサーンを前提とした製造業的な思考の下での会計観を従来から採用してきており、他方、IFRSは、ファイナンス理論的な観点から、企業それ自体をも1つの商品として捉え、M&A等により企業を売買することを視野に入れた考え方に影響を受けている。言い換えれば、IFRSは、短期志向で投資の清算価値を常に念頭に置く金融業的な思考の下での会計観を採用していると考えられる。」としている。
IFRSの会計観によれば、投資家は企業自体の「商品」としての価値を重視していることから、「商品」としての企業の事業用資産等も、売却を前提とした出口価格評価を想定しており、時価としての「公正価値」を重視することとなる。
このIFRSの会計観は、
1)投資家は企業それ自体の「商品」としての価値を重視することから、「企業価値とは現在持っている資産のストックが大事であり、資産の時価が重要である」と考える。
2)そこで、資産と負債を全面的に時価で評価し、その差額である純資産の大きさこそが、投資家が企業の価値を把握するときに大事だ、という考え方につながる。
3)時価会計については、我が国も現実に有価証券について時価会計の導入をしたことにより、有価証券の含み損益が開示されることになり、会社の株主、投資家にとっては、投資の意思決定に役立つ情報がより充実したと考える。したがって時価会計の導入は、現在の企業の「価値」を図る上で大きなメリットがあるとみる。
4)また、時価会計の導入が進むことで、企業はこれまで以上に収益性重視の方向に向かうことになり、投資家にとってはメリットとなる、と考える。
5)したがって、時価主義の全面的導入は、企業の価値を把握し、また企業により収益性を重視させる、という点で投資家にとってメリットとなる。
以上が、時価主義を重視する会計観の基本と言える。
しかし、私は、以下の数点から、時価主義が拡大していくことについて、強く危惧をしている。
(1)「公正価値」の評価が可能かという問題
まず、有価証券であれば、時価の評価は可能であるが、それ以外の事業資産など、時価で評価することが困難な場合が少なくない。
特に、中古市場などもない場合、極めて主観的な「時価」を「公正価値」と言って「評価」する他ない。このような「時価」が果たして本当に「公正」な資産評価が可能であるのか、極めて疑問である。
むしろ、主観的な評価ばかりに支配された財務諸表を公開することで、投資家の利益を逆に阻害するおそれも否定できない。
(2)中長期的視点の欠如と企業価値の捉え方の問題
短期的な利益を上げる投資家の利益を重視しすぎることにより、企業が中長期的に利益を拡大していく、という安定的な経営が困難となる、という弊害がある。
そもそも、企業の価値も、その企業の資産のストックや負債の価値のみをもって、企業の価値が決まるわけではないはずである。上記岩崎氏も、企業価値とは、「将来どのくらいの成果を稼ぐか、という見込みによって決まる」(101頁)としており、我が国の産業資本主義的な会計観に、IFRSの企業価値の捉え方は馴染まない。
(3)企業の安定性を著しく欠く
さらに、大畑伊知郎の「日本経済を壊す会計の呪縛」(新潮新書)によれば現実に金融商品に対する時価会計の導入により、会社が保有する有価証券の含み損益が開示されることになったため、有価証券の含み損により、自己資本が目減りするということが起こり、企業の安定性が脅かされるようになった(45頁)。その結果、株式の持ち合いの解消が進み、安定株主に変わって外国人投資家が拡大し、株主の立場に立った収益性重視の経営に転じた、とする。
もし、資産負債がすべて時価評価となれば、企業活動自体を健全に行っていたとしても、企業活動と離れた資産価値の変動によって、会社の自己資本がマイナスとなり負債が資産を上回る、という状態になってしまい、一気に倒産の危機にさらされることとなり、企業が極めて不安定な存在となってしまう。
かかる事態を回避するために、企業は今以上に内部留保を高め、非正規雇用の拡大などに拍車がかかりかねない。
(4)長期的に企業価値を低める
さらに、時価会計の全面適用がなされれば、今以上に企業は目先の利益拡大が至上命題となり、西武ホールディングスのように、投資家から、不採算部門(西武の場合は、地域の資源でもある鉄道)の切り捨てを求められることが日常化するのではないか。
そのことは結果として長期的には企業価値を低めることになりかねないのではないか。
少なくとも、会計上の資産と負債を全面的に時価(公正価値)で評価し、その差額である純資産の大きさを投資家(株主)にとっての企業価値(株主価値)の指標にすべき、というような全面的な時価会計基準は、我が国に馴染むものではない。
時価会計基準の適用範囲の拡大は、日本の堅実な「ものづくり産業」を衰退させ、非正規雇用の拡大にも拍車がかかることは必至である。
時価会計基準の適用が拡大していけば、「下町ロケット」の佃製作所のように、長期的な展望を持ってものつくりにチャレンジをする中小企業は絶滅しかねない。
会計基準の問題は弁護士にとって盲点であるが、企業法制や労働法制と極めて密接に連関し合っていることから、常に注視が必要である。
【参考文献】
・岩崎勇「IFRS導入と公正価値会計の浸透」国際会計研究学会臨時増刊号2010年度
・福井義高「公正価値会計の経済的帰結」金融研究2011.8
・大畑伊知郎「日本経済を壊す 会計の呪縛」(新潮新書)
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by kahajime
| 2015-12-12 23:29
| 公共政策(京大)